店主です。
地方都市でコーヒーショップを経営することについて、人に向かって少しだけ話しをする機会がありました。自分はあまり都市と地方都市という違いについては、これまでそれほど意識してきたわけではなかったと思います。このあたりの微妙な差異については、自分の事業のなかにかぎると、どちらかといえば無意識のうちに応対してきたような気がするし、そもそもこういうものは、意識して対応できるものでもないという気がしてしまいます。ただし現実には意識しておいた方が良い、ほかの留意点があります。たとえばコーヒーの自家焙煎は、地域間における単純なパイの取り合いの問題があります。自分は先日あるシンクタンクがまとめていた、自家焙煎珈琲店が人口あたり何万人に対して商圏を形成しているかのレポートに目を通して、驚いたことがありました。このしゅの資料はアカデミアな現実であり、実業者の肌感からは遠いことも少なくないのですかが、(あいまいにならざるを得ない部分までふくめて)、われわれの置かれた現実に完全に合致していたのです。
こういうものが、ひとつの強固なフレームであることは間違いありません。こういうフレームをこえようとすると、(多くの場面で都市部でないかぎり)、自分の土地から遊離した商売のやり方になります。通販などがそうです。そしてもっと根本的な話として、製造業(コーヒーにおける自家焙煎)というのは本質的に「物販」ですから、個数だとか、数値化されるもの、あるいはそういうものによる上限が必ずあると思います。このあたりの「上限」は、多くの人たちがさまざまなアプローチで説いているものです。実際にコーヒーショップ経営において、わたしもカフェ機能以上にコーヒー自家焙煎の製造小売業の側面、ないし製造卸売業の側面を、(自分の手がける事業においても、人に何かを話す場面においても)、どちらかといえば優先してきたきらいはありました。それに比べるとサービス業、カフェ機能の本質的なところに、数値化されるものの上限は存在しません。人と人との豊かな関わりとか、サービス業のよりどころになっているもの、媒介となるもの、「あいだ」となるもの、人が人に与える形のないものは、無限大です。なので、コーヒー豆における食品加工製造の工程や、そのほかのカフェにふずいした製造小売業(お菓子など)に見られる、あるしゅのお金の稼ぎやすさ(これほど円高と物価高が進んでしまうと、輸入品などとくにひところのような旨味はまるでありませんが)はともかくとして、「喫茶」とか「カフェ機能」というのは、尊いと思います。
あるいはこれは個人的な考えかもしれませんが、人と話すというのは、やはり幸せなことだと感じます。それにこういう仕事を業種としていて自分が一番良いなと思うのは、(たいていの場合というふうにはかぎられるかもしれないけれど)会いたい人に会いに行けることと、話したい人と話しができることです。そのあたりからもう一度「カフェ」というものを考えてみたいな、と思っていたタイミングで、Cafe旅人の木さんと、神田町の喫茶店の店主と、特別な場で三人で話す機会がありました。それぞれ見た目も性格も見事に違う、同い年の三人組です。面白いタイミングだったし、内容もとても充実していました。