店主です。
少しまとまった時間を使って、遠方で、しばらく会っていなかった人たちと「コーヒーの正しさ」について会話をして来ました。奇妙な時間でした。行く前から行かなければ良かったと思いましたが、行ってからも行かなければ良かったと思いました----車中、帰り道の事です。
『方法というのは否定的に出てくるんじゃないか、つまりポジティヴには出てこなくてネガティヴにだけ言われるものだと思うんです。これがおれの方法だというとすぐ死んでしまうようなものです』(『文学・言語・制度』柄谷行人)
私はコーヒーとは本来ネガティヴにのみ取り出されるものではないかと思います。かろうじて取り出されるものではないかと思います。これがおれのコーヒーだという言われ方をすると、すぐ死んでしまうところのあるような、そんな飲み物だと思います。そしてさまざまな出来事に試されたりしたあとで、本当にかろうじて人々に理解されるような、やっとの事で、そうした性質があると認められるような、そんな飲み物だと思うのです。それは本当に、本当に、危ういものですが----しかし「かろうじて」という以外に、コーヒーとの付き合い方はあるのでしょうか?
気がついたら岐阜に着いていました。