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コーヒー屋にたどりつくためのコーヒー

Posted: 2024.08.15 Category: ブログ

コーヒー屋にたどりつくためのコーヒーイメージ1

店主です。

以前もどこかに書いた事があったかもしれないのですが、わたしは時折、バスケットボールの試合を観ることがあります。サッカーの試合を観るのと同じほどの好みではないかもしれませんが、バスケットボールの試合を観るのがわりと好きなのです。バスケットボールは、よくも悪くも笛で試合がこきざみに止まるので、なにかをぼやいたり、ぶうぶういいながら見るのにちょうど良いような気がします。たとえば、パリオリンピックのケビン・デュラントを見ていると。。なんというか。。とりとめもないことを考えてしまいます。この選手の経歴については、物足りない気持ちで思うことがいくらかあります。たしかに彼はゴールデンステートではチャンピオンリングを手にしましたが、彼がいてもいなくてもチームは優勝していました。もし彼が最初に入団したチームが自分に合っていて、チームの屋台骨がふわふわしていなければ。。そんなことを考えてしまうのです。バスケットボール史上最高の選手に関して、ふたりの23番をつけた選手のどちらがという議論は、いくらか違っていたかもしれないのです。そしてこの問題には、「あるコーヒー屋の業績の落ち込み」が思い切り関わっているので、自分はなにか他人事ではないような気持ちでそのまわりの出来事を眺めてしまいます。

『父の最後の職業は、おしめの配達と回収をするトラックの運転手だった。何ヶ月たっても、父はにおいがひどくて汚いと愚痴をこぼしつづけ、ひどい仕事だと自嘲していた。しかし、解雇されたときにはもう一度やりたがっていた。私の脳裏には、仕事もできず、収入もなく、世間から見捨てられたまま、足にギプスをはめて長椅子にうずくまっていた父の姿が鮮明に焼きついている。父は1988年に亡くなったが、このときほど悲しかったことはない。父には貯金も年金もなかった。何より胸が痛んだのは、父が自分の仕事に生きがいも誇りも持てなかったことである』(ハワード・シュルツ)

ケビン・デュラントが最初に入団したNBAのチーム、身売りされる前シアトルのチームのオーナー(シアトル発のコーヒーチェーン店のオーナー)は、想像を絶する極貧状態から、大学にまで行きました。フォーチュン500に採用されている企業に入社できる程度の、大学にまで行きました。それはスポーツの推薦、特待生の扱いによってのものだったのです。このことは、あまりいわれることはないのですが、じつはわたしが彼の経歴のなかでもっとも気になる点です。しかし、彼が買収したシアトルのバスケットボールチームは、予定していたアリーナ改修費が行政からおりなかったことや、肝心のコーヒー屋さんのほうが当時の商品バブルによるコーヒー豆価格高騰の影響で、上場以来はじめての(そしていまのところ、おそらくはもっとも大きなものといってよいと思われる)経営赤字の手前だったため、早くに身売りするしかありませんでした。すべてのタイミングが悪かったのです。。そして、ソニックスゲート事件が起こりました。そんな混乱の中でも、才能しかない35番の選手は史上最年少で得点王になりましたが、その後のキャリアを見ていると、各所で無理がたたっていたことは否めません。あのままチームがシアトルにあったら、あのまま(いっときとはいえ)コーヒー屋さんの業績がおちこまなかったら、というふうに、わたしは考えてしまいます。

『俺より遥かに高く跳べる選手、俺より遥かにシュート・パスができる選手は沢山いた。でも、奴らのほとんどは、NBAにたどり着けないんだ。NBAに必要なバスケットを、本質的に理解する努力が不足しているから』

かつてそのシアトルにあったNBAチーム、とてもクラシカルでオーセンティックだったバスケットボールチームの、フランチャイズ史上もっとも活躍した選手が、そういえばたしかこんなことを言っていました。わたしは、これがなにかものすごいことばのように思えたので、急いでメモをとったことをよく覚えています。ここにはなにか真実があります。。この「バスケット」というのは、ほとんど「コーヒー」のことなのです。わたしにとっては、このチームの命運にとどめをさしたのがコーヒーであることも、どこか無関係とは思えないものでした。コーヒーのことで、あるいはコーヒーに関して、アクチュアルななにかができたりだとかラディカルななにかをいえたりするひとは、想像以上に数おおくいます。またその程度がきわだっていたり、きわめて興味深いひとも数おおくいるのですが。。そういったひとたちは、(本人たちがのぞんでかのぞまないでかはいざしらず)、商売にたどり着かない人が多い気がします。かつてNBAで大きな活躍した某選手より「遥かに高く跳べ」、「遥かにシュート・パスができた選手」の「ほとんどがNBAにたどり着けなかった」のと同じくらい、商売にたどりつけない人が多い気がします。「商売にたどり着くために必要なコーヒー」を、「本質的に理解する努力が欠けている」からです。例えどれだけコーヒーのことがわかっていても、どれだけ焙煎のことがわかっていても、どれだけ抽出のことがわかっていても、「商売にたどり着くために必要なコーヒー」を「本質的に理解する努力が欠けて」いたら、どれだけのぞんでいたとしても、(一方でのぞまないひとには不要な話にきまっているけども)、コーヒー屋をやることは難しいのです。あるいは、いっときやることはできても、つづけることが困難なのは間違いありません。このあたりのことを考えていると、わたしはいつも、東京にあったひとつのコーヒー屋のことを思い出します。かつて東京の南青山3丁目(※2丁目のほうではない)にあった、あるコーヒー屋のことを思い出したりします。

いずれにしても、これらのことはわたしがどう、ということではありませんが。。(いや、もしかしたら自分がコーヒー屋になれず、人のお店をつぐしかなかったのも、じつはそういうことかもしれなくて。。ただ、それは全然そうじゃないのかもしれません、そもそもコーヒーは自分には苦くて、ほとんど飲むことができなかったのだから。。)とにかく、ゲイリー・ペイトンのことばをきっかけに、一連のながれのなかで、わたしがしばらく考えたのはそんなことでした。

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