本日は閉店時間少し前より、スタジオポルカさんの撮影とともにペルーのゲイシャの初焙煎。(ポルカの太田陽大さん、ありがとうございます。)
あらゆる付加価値の存在する「商品としてのコーヒー」の内部で、われわれがとるべき態度は、ひとつはっきりしています。それは特定の立場から見られた過度な商品価値がつけられるものへの懐疑です。(これは品種や農園名をどこまで記載しようとか、そういう低いレベルの話ではまったくありません)。
これらのものを括弧に括りながら、またその態度が持ってしまう在り方への批判をする---そういう一人二役のようなものを、例えばうちのようなお店は、あらゆる場面にいつも背負っているように思います。
ペルーのゲイシャは、ある意味では「特定の立場から見られた過度な商品価値がつけられるもの」です。しかしわれわれはこの生豆へのアプローチには、一切そのようなエレメントをはさんではいません。(店主が手探りかつ手掴みでこの豆を摘んできたことにも明らかです)。ただ、それはだからカジュアルに飲まれても良いという在り方をすぐに批判しなくてはならないような場面、一人二役を背負う場面へと変化します。
なかなかの煩雑さですが、いまのところ愚直にど真剣に、この役回りをやるしかないのかなと思っています。
深夜近くまでお店で仕事をしながら考えたのは、そんな事です。