カフェ・アダチ ロゴ

 

店舗情報

11:00 – 18:00 L.O. 17:30
金曜定休

全席禁煙 / バリアフリー

座席数:店内36席

© Cafe Adachi

ブログ

Blog

渡邉店長と私

Posted: 2021.10.26 Category: ブログ Comment: (0)

渡邉店長と私イメージ1

店主です。


わたしがいまの事業の代表を引き継いだのは、2016年頃のことでした。「頃」、という切り出し方はどこか微妙ですが、わたしは会社印と当座小切手帳、法人カードを受け取った瞬間から、すべての裁量を受け取ったわけではなかったように記憶しています。むしろ、その逆の状態だったというふうに記憶しています。そして実際に自分が何に触れてどういう風にする事ができるかを、「死に行く老人や産まれたての赤ん坊のようにただ見ていただけ」(ゴダール)でした。


自由に脚色が出来る現在からは、過去にむけて何を思い出したところで、あるいは何を語ったところで、そのほとんどはまぼろしのように思えるものです。刮目の状態が二年ほど続いたあとで、何かの皮を切るように渡邉店長がわたしを訪ねてきました。それは途方に暮れたわたしがあるまぼろしの犬に出会った、そのほんの少し前の出来事でした。


出自を言えば彼女は人間の生死のもっとも近い所にいたような労働者で、その出会い方もほとんど偶然でした。いまもってあの時、いわゆる出会うという行為として出会ったのかも、わたしにはよくわからないことに思えます。いま思えば想像上の右腕のようなもので、彼女はそのときまったく違う場所で働いていても、最初からアダチというお店にいた人でした。論理が通っていないのは百も承知ですが、それ以上うまい言い方が無いのです。


彼女はわたしの言う事をよくわかっていました。誰よりもよくわかっていました。そしてそれは、ある意味では何もわかっていないことにもっとも近い状態でした。たぶんアダチという場所において、ある形でもっとも何もわかっていなかった人は彼女です。そしていつも、何かわかった人たちはすぐにわたしと袂を分かっていきました。その中には優秀な人もたくさんいた気がします。しかし、わたしと仕事を続けて行ける人は本質的に何かが「抽象的」であり、物事がわかったと思うようなタイプの人は、決してお店には残りませんでした。それは本当に驚くべき事です。このことに、「深さ」はありません。その事実に、わたしはいつも驚くのです。


わたしはいまの事業の代表になってから、ほんのわずかのうちにあまりにも多くの出来事があり、手段が尽きて、どうしてよいかわからなくなったことがありました。もはや物事に何の意味も感じられなくなり、本当に途方に暮れたというような時期がありました。そしてもうお店を畳もうと決めたとき、人からルノルマンカードを引くように言われたのです。そのとき、決死的に選んだある一枚のカードのことをよく覚えています。


いま彼女がお店を去ったあとで、なんとなく思い出すのはそんなことです。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

関連記事

Categories

Latest Posts

Archives

← 戻る