店主です。
先日「廃業した自家焙煎珈琲店」の跡地で、カフェをはじめた方から「バッハの田口さんってどういうひとですか?」とたずねられる機会がありました。もちろん、事前打ち合わせしていたわけではありません。
あまりにカジュアルに尋ねられた(ように思えた)おかげで、その場で気の利いたことも言えませんでしたが、今思い返してみると、わたしがどういう場面でどういう風に何を思われているのかの(ごく瑣末な)一端を、あらためて考えさせられるような出来事でした。
そしてほとんど時を同じくして、別の某有名店の店主(本当に有名な方です)から、「貴方はカフェ・バッハにいたのでしょ」、と言われました。ほぼ連続でした。
わたしがバッハにいたというのは事実であり、またある意味においては、証明するところまで付き合う価値のある事実ともいえないものです。ただ、わたしの中では、某所での執筆に付き合わせる形で御大について何か思い出していた事と、いまになって同じような出来事が重なりをみせたのは、少し意外なことでした。
わたしがカフェ・バッハにどのようなおさまりを見せていたのかは、正直よくわかりません。時々(で、すらもはやなくなりましたが)彼について考えている事を前提とした会話をする人物が「若干名」いるので、自身でもまやかされてしまいますが、本当はそのことについて考えることも、正直に言うともはやあまりないのです。(ただ、氏の文章は変わらず好きです)。
微妙な問題に関して、確かな事は言いにくいものです。グループに属していない人間の意味は何なのだろうか? トレセンを出てからたった時間も、はたしてそれほどのものだろうか? わたしは心で静かに続く低いつぶやきの中、構図的に収まるものを探していたのかもしれません。そしてもちろん、そんなものはどこにもありませんでした。例えば、わたしの同期でSCAJの要職に就いている人物(これが当人を評するのにもっとも適切な語句であるかは甚だ疑問ですが)など、氏から「弟子」と呼ばれる事があるようです。しかし、わたしがまったくもってその類で無いことだけは、確かな事です。
カフェ・バッハトレセンでわたしが浮きに浮いていた話は、かつてどこかで、書いた事がありました。参加者全員が目を血走らせて『大全』の中にあるプロファイルのおそろしく微細な内容を質問していた(彼らは104ページのパナマの焙煎投入温度が間違っていることにすら気づいていませんでした。今から考えれば、顫動するような話です)とき、そういう時を思い出します。あのときわたしがしていたことといえば、コーヒーを主体とした事業体の運営の仕方と、それを通して収益性を上げていく方法の発問くらいのものでした。
「あいつは、なんなんだ?」
わたしが口を開くたび、御大は番頭役(と某書で自身を評されてみえた)方にぼやかれていた事を、これを書いている途中から思い出してきました。あれから、どれくらい時がたったのでしょうか。
『習慣の一番の特質というものは、それが不文律であるということです。習慣というのは、明文化された定められたものではありません。なかなか言葉にできないようなあいまいなもの、あいまいだけれども、自分にはしかと感じられる自分をささえるもの、他人と共有される「あるもの」です。言うことのできない多くのものでできているのが、実は人生という小さな時間だと思うのです』(『なつかしい時間』長田弘)
コーヒーはいつのまにかわたしにとって日常(習慣)となり、生業以外のものではなくなりました。時間的な長さは数字になりますが、わたしには実感も実体もないものに思えます。
ただ、少し歳を取りました。