自分がこういう場所に書いているものの読者が数名(2人?)しかいないため、もう少しだけ回路を開く目的で、英語圏に向けていくらかの書き物をまとめていました。するとなんの因果か、うら若い女学生からスコットランドの首都の大学の研究機関に絡み、カフェと社会の果たす役割について(なぜか)私(小森)の意見を照会したいという問い合わせが「向こうから来た」のです。私は会話のやりとりをしているうちに、エディンバラ大学ということばを耳にして、デビッド・ヒュームのことを思い出しました。
デビッド・ヒュームといえば、私はドゥルーズが彼の初期の書き物のなかで、主体についての考察で彼の思索をかなり参照していたことをよく覚えています。ヒュームにとって、主体は知覚の束です。しかし、その束の集まりが全体の行為としてほころびを見せ始めたとき、還元主義は行き詰まりを迎えたと思えるのですが。。私にいわせれば「還元主義」と呼ばれてきたものは、実際には「方法主義」とでも呼ぶべきものの一症状に見えます。方法とは「世界は正しい手続きを踏めば理解できる」という、近代の信念そのものです。還元主義を批判する人はいると思いますが、「還元」はあくまで症状であって、「方法そのもの」が近代の無意識だった、と言い換える人は意外と少ないのです。
主体と行為、主題と実際性の裂け目のことは、ほとんど同時期に、日本語とフランス語でそれぞれ冷徹なまなざしを向けた著作が1960年代から70年代にかわるタイミングであらわれました。『意識と自然』という夏目漱石論と、『グラマトロジーについて』というユダヤ人哲学者のフランス語の著作がそれにあたります。方法とは必ず、「どうすれば正しく行えるか」を問いますが、人間は方法によって生きているわけではないし、行為はいつも、方法から逸脱します。方法(意識)が精密になればなるほど、それを用いる主体と実際に生きている主体のずれが大きくなる。そのことについての、議論が湧き出たのです。私には、方法的なものがありとあらゆる場所に行き渡った結果、その方法を遂行する主体そのものが意味に耐えられなくなったために(政治や倫理の責任論など)、「問い」自体が「そもそも方法とは何だったのか」というように、元の場所に帰ったように思えます。方法によって物事を捉えることの行き詰まりが、デカルトの発した問いへ戻っていたように感じられます。それは、つまり主体と方法の問題です。そもそも、『方法序説』ということばが奇妙ではないか? それは方法に到達することのない状態の発露ともいえるし、「序説」という語を真面目に受け取るなら、方法への入口はあるが、方法そのものは完成しない、という逆説だとも言えるからです。
『これは誰にとっても正しい教科書ではなく、私がたまたま歩んだ道の報告である。だから、この著作において私の企てているのは、各人がその理性を正しく導くために従うべき方法を教えることではなく、ただ、私自身が自分の理性を導くためにいかに努めたかを明かすことにある』(『方法序説』デカルト)
デカルト自身、『方法序説』で提示しているのは普遍的な教科書ではなく、「私がたどった道」です。つまり、方法を所有しているのではなく、方法のまわりにあるものを語っているのです。これは20世紀のなかばで思想家によく見られた、行為と行為主体の差異、主題と実際性の自己差異の問題と、ほとんど重なっています。なぜ近代は、「方法によって自己を成立させられる」と考えたのか? 私が問うているのは、そこなのかもしれません。AIに代表されるアルゴリズムは、「方法」の「極致」です。しかし、その精密さが増すほど、「その方法を使う私は誰なのか」という問いが残ります。主体を離れて方法が成功するほど、「その方法を用いる主体とは何か」という問いだけが残ってしまう。ここでもやはりデカルトが、未解決の同時代人として戻ってきているわけで、これは「方法の成功がたえず方法そのものを問い返す」という、別の近代の物語のことでもあるのです。だから、思想史で営々繰り返されてきた主体論が、古くなるどころか、むしろたえず現在性を帯びてしまうわけです。
『私には身体が存在しないと偽ることができ、私が存在するいかなる世界も空間もないと偽ることができるが、だからといって、私が存在しないとは偽ることができないのを見た』(『方法序説』)
ここでなお私が気になっているのは、「方法序説」ということばとその読みです。『方法序説』はフランス語では Discours de la méthode です。これは「方法についての語り」、つまり「方法についての談話」という意味で、(私の理解がまちがっていなければ)、日本語の「序説」ほど、「導入」という響きではないのかもしれません。繰り返しますが、デカルト自身も、「方法」を物のように差し出しているのではなく、「私はこう歩んだ」と語っているのです。この差は案外大きいのかもしれません。もしそこから読み直すなら、『方法序説』とは「自己はいかに歩むか」と同時に、「自己はいかに自己でありえないか」という、一つの長い近代の対話として読める可能性があります。
『小学校に入ってから二年間、教室で口をきかなかった。そのような引っ込み思案な人間が、偶然の出会いが重なるなかで、自然と、日本のみならず外国でまで、著作を発表したり教えたりするようになっていったのだ。それは、努力したり目指したりして実現したことではなかった。いわば、『向こうから来た』ことだった』(『私の謎』)
方法とは、対象を他のものへ還元することなのでしょうか? 誰よりも方法を見ていた人が、最終的には自身(主体)を定義づけるときに、「謎」ということばを使ったことは、私にはとても興味深く思えます。「謎」のことでいえば、私がコーヒー業界(それがどういうものかは、それこそまさに謎ですが)に入ったのは、「ひょんなことから」とかいうのもおこがましいくらいに、知らないあいだに起こった出来事でした。そもそもコーヒーというものがよくわからなかったし、よくわからないものの「業界」など、最初から理解できるわけがありませんでした。それになんとなく喫茶店にいたら、いつのまにかその場所で代表をすることになっていたわけで。。それは「偶然の出会いが重なるなかで」、「努力したり目指したりして実現することではなかった」し、正真正銘、「いわば、『向こうから来た』」としかいえないわけです。このことをどういうふうに表現したら良いのかは、私にはわかりません。それを何かに託したり、あらわしたりすることも、よくわかりません。今日も日本全国から、コーヒー豆の注文が入っています。ある意味で、こんなことを考えている時間こそ、私にとって最大の謎です。
