店主です。
「小森の部屋」という、にわかには説明しがたいよくわからない設の空間に、(自分では信じられないとしても)多くの人たちがあらわれるようになってきたタイミングで、(数年前ほど前を端に発した)おそるおそるはじまった無目的から派生した催しは、あっさりと終焉を迎えることとなりました。物事がもっとも盛り上がってきた(ように思われる)タイミングで終わるというのは、少なくともその反対と比べたとき、それほど悪いものではないような気がします。あるいは、良すぎることはない気もします。わたしは一連の出来事を過ごしているあいだに、万感の思いというのでもなく、たんたんと流れる時間に身を任せていました。
いくつか用意されたイベントの中、わたしは(低品質紙に)みずからプリントした『目的と手段の区別』というキャプションを含んだカフェバッハのテキスト(単行本未収録)を読み、あらためてその内容の堅牢さと、レフ・トルストイの著作との照応を感じたところでした。これはわたしが南千住に足繁く通っていたころ、そのときの主宰の氏が書いたもののひつで、とても好きな文章のひとつなのです。わたしは、たぶん多くのひとが誤りをおかす物事を、その文章のおかげで回避することができました。おそらくの感想ですが、いくらかは回避することが出来ました。ですので、コーヒーの仕事をしたいという人は、このテキストだけは読んでおいたほうが良いのではという気がするものです。わたしのもとに来てもらえれば、すぐ誰にでも手渡せるようなプリントです。それはさる御方が一子相伝だとか不惜身命だとかいう涙ぐましい文言を付して、「コーヒー色の涙」を流しながら自身の後継者と目する誰某に命がけで渡したなにかだとか、仄聞後ほっぺたを赤くするより他のないような逸事とは一切無関係のものです。東アフリカの大地に(たんなる不法侵入と自然破損の非道徳的行為として)埋没などされるそれらに比して、わたしの用意したものは、紙詰まりととなり合わせたプリント用紙です。ヘッドクリーニングの足りてない量販機による、ただのプリントです。かすれた文字の、みすぼらしいプリントです。それでもよければ、欲しい人には(仮にもし某所より怒られるまでなどの制約をみずからふくんでいるとしても)、誰にでも渡せるような種類のものです。
『水車が唯一の生活手段であるような人間を想像してみよう。この男は、父も祖父も粉ひきだったので、粉を上手にひくには、水車をどう扱えばよいのかを、あらゆる部分にわたって、ききでちゃんと承知している。この男は、機械のことはわからぬながら、製粉が手際よく上手にゆくように、水車のあらゆる部品をできるだけ調達してきたし、生活を立て、口を糊してきた』(レフ・トルストイ)
「小森の部屋」の一番の記憶は何でしょうか。かつてまだあまり盛況とはいえなかった時間の中で、ひとり(意味なく)マルティン・ハイデッカーを読んでいたことかもしれません。ちょうどそのタイミングに合わせて「ドイツ文学の教授」なる方が現れ、わたしに箴言を投げて行ったことを思い出すのです。たしかゴダールが『映画史』の中で、人類史最後の韻文とでもいうべき取り上げ方をしたあるドイツ人文学者の書いた詩が、『存在と時間』という著作にどれほど意義深く関わっているかというような内容でした。わたしはいまもそのことを覚えており、(それは本当に笑い話でしたが)、同じ気分で良ければここ最近どうもそのまわりをめぐり続けているという意味で、今回の部屋でわたしはルソーについて何ごとかを読んだり、何ごとかを書いたりするべきだったのかもしれません。実際、(こそっと)そういう書籍を忍ばせておくてはずもあり、かつそのことに関する内容も仄めかしのごとくどこかで繰り出したはずなのですが、あのときわたしが読んでいたのは、トルストイの著作です。レフ・トルストイという文豪の書いた、なにかの著作です。
『ところが、この男がたまたま水車の構造について考えたり、機械についてのなにやら怪しげな解釈を耳にしたりすることがあって、水車がどうまわるのかを観察するようになった。そして、心棒のネジからひき臼に、ひき臼から心棒に、心棒から車に、車から水除けに、堤に、水にと観察をすすめ、ついには問題らすべて堤と川にあることをはっきり理解するにいたった。(…)彼の水車はすっかり調子が狂ってしまった。粉ひきは、見当はずれのことをしていると言われるようになった』(トルストイ)
それはくしくもブルネロ・クチネリが引用していたものでもあり、あるいはルソーのあとに置かれた認識とでもいうべく、わたしが引用したかつての自分の書き物のやり直しに当たる内容でした。『戦争と平和』の著者は、ルソーのいくつかの著書を読んだことをきっかけに、ロシアで二番目に設立された国立大学を辞めています。(しかも彼は東洋文化専攻でした)。わたしは(忍ばせていた)ルソーを読まずにトルストイを読んだのですが、そのことはまったく図らない事実でした。彼がルソーを読んで大学を辞めたというのは、ルソーを読むのを辞めてトルストイを読んだ自分にとって、(クチネリの影響はあったとしても)本当にたまたまの、ただの偶然だったのです。
『彼の迷いをさましてやる唯一の方法は、どの考察においても大切なのは、考察そのものよりもむしろ、その考察の占める地位であること、つまり、みのりの多い考え方をするためには、何を先に考え、何をあとで考えるべきかをわきまえねばならぬということを教えることではないだろうか。粉ひきの目的は、うまく粉がひけることである。だから、彼がそれを見落さないかぎり、臼や、車や、堤や、川についての考察の明白な順序や一貫性は、その目的が決めてくれる。考察の目的に対するこうした態度がないので、粉ひきの考察は、たとえどんなに立派であろうと、論理的であろうと、それ自体誤ったものになり、何よりむなしいだけのものになるだろう』(トルストイ)
わたしはこの「むなしさ」を色々な場面で見てきた気がします。それはこの書き物もそうかもしれません。いくつかの気分の中、わたしは(低品質紙に)みずからプリントした『目的と手段の区別』というキャプションを含んだカフェバッハのテキスト(単行本未収録)を、急いで読み返します。そしてあらためてその内容の堅牢さを思うのです。
『焙煎技術に関する相談の八割は、売り上げを倍に伸ばせば解決がつくことがほとんどである』(『目的と手段の区別』田口護氏)
わたしは、たぶん多くのひとが誤りをおかす物事を、その文章のおかげで回避することができました。おそらくの感想ですが、いくらかは回避することが出来ました。