店主です。
先日、ひとりごはんで市境のはなるうどんをすすり、帰宅途中ひとつ目の信号をこえて少し走ったところで、窓の外を見ながら考えました。別に大した事を考えたわけではありません。(むしろ、まったくもって大した事ではなかったように思います)。脳にも心にもスペースがない時、人は何を拠り所にして自分の考えをすすめるのでしょうか。
コーヒーについて研究的にアプローチし、それが滑稽な末路に陥った話----それをプロバット機の前で眠った話として、いつかのブログに書いたように思います。ハンドルを握りながら考えたその時の事は、ほとんどある「気分」として残っています。たまたまその「気分」とシンクロするように、邦楽(まず聞かない)のヒップホップミュージックが車中に流れていました。次の曲がはじまった瞬間無意識に「おういえ」と独りごちて苦笑し、そのまま立ち寄ったコンビニで某コーヒー飲料を購入しましたが、開封後飲み終えるところまでは辿り着けませんでした。
しかし数日後に起こる事件の事を思えば、ここまでのすべてが茶番だったようです。
気の抜けたサイダーのように休日を過ごしていたとき、私は同じ道を歩む先達から、同世代の旗手的都市部の某コーヒー店が静かに行き倒れになった話を聞くことになったのです。それを聞いた時、うまく言葉が見つかりませんでした。そのことに対して一切、自分の感情を見つける事が出来なかったからです。
そんな「気分」のまま、とても静かに年末の足音が近づいてきました。