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面識のあったある年配女性のことば

Posted: 2025.05.11 Category: ブログ

面識のあったある年配女性のことばイメージ1

自分はかつて(それは正直もうどれくらい前のことになるのかもよく覚えていないのですが)、ひょんなことから地方新聞の連載を受け持っていたことがありました。もちろん作家として書いたわけでもなかったし、そう長い期間だったわけでもありません。ひとつの季節が終わる前に終わった、それくらいの長さだったような気がします。ともあれその最後のコラムのなかである有名なヨーロッパの映画作家のことば、(彼の最後の監督作品であるきわめて美しい映画から)、

「何ひとつ望み通りにならなくても、希望は生き続ける」

ということばを引用して、書き物を終えたことがありました。大袈裟なことを言おうと思ったわけではありません。ただ、そのことばで終わろうと思いました。

事実そのことばは本当は孫引きであり、もともとはドイツ出身のあるスウェーデン(を拠点とした)文学者の著作からの引用だったのですが、深く事実を知らないまま引用していたわたしは、そのことを博識な人から教えてもらう機会があったのです。それにペーター・ヴァイスという人には、自分がこの世に生まれた日の何日か前に亡くなったというタイミング的な事実もあったので、受け取った指摘はおそろしくよくできている気がしました。そんなきわだった指摘にとどまらず、そのころには色々なことばを、色々なひとから言われました。人生で、あれほど見ず知らずのひとから声をかけられたことはなかった気がするくらい、ひとから意見を受け取る出来事のなかにいた気がします。そしてそのなかで、いまでもはっきりと覚えているのですが、ほんの少しだけ面識のあったある年配の女性から、こんなことをいわれたのです----「何ひとつ望み通りにならなくても、希望は生き続ける? あなたはすべて、自分ののぞむようにしているでしょう。」----いまでも、はっきりと覚えています。

仕事の必要にかられた自分が、心のどこかにしずかに引っかかっていたことばの答えあわせをする機会に出会うまでには、いくらか時間がかかりました。----「何ひとつ望み通りにならなくても、希望は生き続ける? あなたはすべて、自分ののぞむようにしているでしょう。」----このことばは、本当に心に残りました。どうしてだろうかと、理由も考えてみました。コーヒーの仕事や、カフェの仕事をしていくなかで、誰に何を言われたところで結局好き勝手しているからとか、そういう意味なのでしょうか。エミール=オーギュスト・シャルティエの本をなつかしい気持ちで読むときまで、自分はそのことばをどういうふうに受け取ればいいのか、どこかわからないまま迷っていました。あれから自分の身の回りにはさまざまなことが起こったし、おりにふれるなどしてさまざまなことを考えましたが、そういう時間を高見から見返すような、前述の著述家のこんなことばを見つけたのです。

『だれも選択などせず、ただみんな立ち止まらずに歩きつづけている。しかも、すべての道が正しい道である。人生の極意はまず、自分の通ってきた道や今の仕事内容のことについて、自分ひとりでああでもないこうでもないと言うのではなく、しっかりやり遂げることにある。人は自分がすでに選択したこと、しなかったことに、運命のしるしを見つけたがる。しかし、そうした選択に人は縛られていない。なぜなら本質的に悪い運命などなく、自分がそうしたいと思えば、どんな運命もよい運命だからである』

選択しなかったことも、選択したけれども何も望み通りにならなかったことも、本当は自分がどこか望んでいなかったことかもしれないし。それどころか本質はそこにあるのではなくて、選択しなかったことにもしなかったことにも運命のしるしなんて何もないのだと言われるほうが、いまはなんとなくしっくりくる気がします。それに、人生はたえず前に進んでいるし。。----「何ひとつ望み通りにならなくても、希望は生き続ける? あなたはすべて、自分ののぞむようにしているでしょう。」----たしかにそうかもしれません。あるいはそうとしかいえないなにかのなかにいる。そんなものなのかもしれません。

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