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沙羅双樹

Posted: 2022.06.11 Category: ブログ Comment: (0)

沙羅双樹イメージ1

沙羅双樹の花が咲き始めました。

サーカスティックな機械

Posted: 2022.06.03 Category: ブログ Comment: (0)

サーカスティックな機械イメージ1

店主です。


それはその目的のために出会ったというわけではありませんでした。わたしはその部分を捉えるのを目的としていたわけではなかったのにも関わらず、集めた文書を読み進めるうちに、ある機械についての所感が、いくつも浮かんでくるのを抑えずにいられなかったのです。より正確なことをいえば、ある機械の中にある操作子(デリダ)の説明のされ方が、二転三転しているのを見てとったのです。おや、と思ったのです。もっと正確にいえば、焙煎機の操作系ハンドルについての記述のニュアンスが、いくつかの場面で微妙にブレているのを見つけました。それはマイスターシリーズという焙煎機に関するもので、一連の読解のあいだ中、わたしはまるで焙煎をしているような気分でした。アロマメーターという言葉が少々あたまの中に混乱を引き起こしましたが、ページをめくるたび、「いや、おかしいぞ。フジローヤルのダンパーと、マイスターにつけられた排気ダンパーは、そもそも意味が違うのに」、などと思います。そしてその後も変わらず、思考の煎りムラなど気にせず、焙煎機を操作し続けるような気持ちであるひとつの読解を試みていたのです。


フジローヤルのダンパーは排気量をコントロールするためについており、マイスターは排気量をコントロールするために、ファンの回転数を変えている。このことから見れば、個人的には、それとは別に排気に影響を与えるハンドルがマイスターにつけられているのが、いまひとつよくわからないでいたことはたしかでした。(アロマメーターの意味はもっとわかりませんでした。わたしの頭が悪いだけかもしれませんが)。ここにある何かの不成立は、非常にすっきりしない解法を要求するものです。たとえば、無理に年代記的なことをいえば、1978年より以前のフジローヤルは、とても面白い機械でした。現在などよりも、よほど面白い機械でした。カフェバッハさんは、火力ばかりいじっている珈琲屋さんを尻目に、火力一定でダンパーだけ動かして焙煎をするという方法を世間に広めましたが、そのやり方は非常に「ひねこびた」(臼井隆一郎)性質のものだったに違いありません。そしてその焼き方は、たんに逆張りというには画期的に過ぎるくらい、当時のフジローヤルの機械の特性に合っていました。奇妙なほどよく合っていました。くわえて火力をいじらないという暗黙の了解は、マイスター登場以前のバッハグループを作る上での、焙煎方法のデファクトスタンダードにもなっていたのです。このことは、先に述べたことよりいっそう大切かもしれません。もしかしたら、もっとも大切な点であるかもしれません。焙煎が趣味ではなく、商売であるという意味で、とても大切なポイントなのかもしれません。


しかし、コーヒー焙煎は本来、排気量を変えなくても美味しいコーヒーは作れるものです(=プロバット)。スペシャルティーコーヒー運動の「可視化」の中で、ダンパーを動かすという行為を数値化する流れの中に、排気量をコントロールすれば、ダンパーの開閉を数字にできるという流れが重なっていることが、物事を複雑にしているのかもしれません。それはマイスターにつけられたわかりにくい操作系ハンドル以上に、現実にはフジローヤルレボリューションなどの登場によってあらわれているように思います。しかし、このことは、(ガラパゴス的な意味で)、当初はつよい影響力を持ったとは思えない広がり方でした。わたしの畏友で、大変に智力がある人がいますが、最近その人はマイスター焙煎機のことを「今や筐体以外見るべきもののない機械」と言いました。個人的には、それは、過剰なニュアンスだと思いました。あるいは、きついニュアンスだと思っていました。しかし、「今や」という言葉の洞察の深さに、そのときのわたしはまったく気がついていなかったのです。


「ニュアンスを欠いたものが、ニュアンスだけで出来ているような現実の人間に当てはまるわけがない」(小林秀雄)


どれもこれも、個人の感想の域を出ないものです。しかし、火力操作のみで焙煎をするという機械でプロバットというイメージをこえるものが出そうにないのと同じ意味で、排気ファンの回転数を変えて排気量をコントロールする焙煎機で、ギーセンというイメージをこえる機械はおそらく今後出ないのではないかとわたしは思います。これは、たんにイメージの問題です。実際性の問題ではありません。本当に、ただのイメージの問題でしかありません。そして、実際性のことを言えば、日本で「立場上」もっともフジローヤルの焙煎に精通しているある方の助言を借りれば、「良い焙煎機とは、シリンダーが薄くて筐体が分厚いもの。このバランスがすべて」ということになるのかもしれません。


わたしはこのことばに該当する性質の焙煎機は、20世紀の後半に作られたプロバットのLシリーズと、20世紀の最初に作られたカフェバッハのマイスターだけではないかという気持ちがあります。これは、ただの感想です。しかしこのふたつは、筐体の厚みとシリンダーの薄さが、とても良いバランスです。つまり、火力操作で焙煎をする、という焙煎のオーセンティックな意味にとって、最高のバランスの機械だということです。この言い方が正しければ、マイスターという焙煎機の使われ方は、ほとんどサーカスティックだとわたしは思います。この意味がわかるでしょうか。マイスターを(世間に)一番使いこなして(見せて)いたのは、皮肉にもギーセンを買う前の、あるバッハグループのお店なのです。


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