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退屈な珈琲

Posted: 2024.02.29 Category: ブログ Comment: (0)

退屈な珈琲イメージ1

店主です。

珈琲について、あるいは珈琲に関して、もっともほかのなにかに加担してうそをついている場合もあるかと思いますが、そういうものでなりわいを立てていくことについて話したりだとか、そういうことについて考えたりする時間が、隣の県庁所在地の街でありました。わたしはそのころちかいうちに訪れるおでこの強打についてのことなどもなにもわかっていなくて、額を切ることと縁を切ることとだったらどっちが難しいのだろうだとか、まったくわけのわからない比較などをしながらほんの少しの日数を過ごすことになるまでの出来事を過ごしました。

『映画の仕事は、きわめて単調な仕事です。そしてそのあまりの単調さのために、人はあれこれと技巧を持ち込んだり、多くの人を呼び集めたりすることによって、その単調さを隠してしまおうとします。こうした人生はまさに、想像力の貧困と欠如とによって支えられた、完全ないつわりの人生とでも言うべきものです』

『軽蔑』の映画作家は、「労働」について、このように語ります。しかし、これは「珈琲」もそうだという気がしてしまいました。。実際、上の文章でつねひごろわたしがうんざりするほど参照している映画作家が「映画」とくちにした上の箇所を「珈琲」という言葉に置きかえて読んでみてください。これ以上なにを言えばいいのかというくらい、「珈琲」と「労働」についてのほとんどの事柄が、上記のたったの三行にふくまれています。

そうは見えないでしょうか? たしかにこういった出来事は、目の前に多くの場面で存在しています。わたしはいくらか形を変えたりする同じようなこと、こういった出来事をだいたいいつも目の前にしているのですが、正直に言えばどんな感想を持てば良いのかがわかりません。自分がどんな感想を持っているのかも、よくわかりません。くだんの映画監督は、自身のこのことに関して、このような感想を添えています。 

『こうした現象は、きわめて不可解な現象です。でも私は、こうした現象を見ていても退屈はしません。退屈なのは、そうした人生をおくるということです』

わたしは(かろうじて)コーヒーを仕事にしているような人間ですが、この仕事で自分が充実しているような心情になったことは、あまりなかったような気がします。盛り上がりも盛り下がりも(もしかしたら、多少などは、ほんの少しなどはあったかもしれないとは思うけれども)これといってなかったような気持ちです。それは自分もある程度までは「退屈」な人生を送っているからかもしれないし、あるいはそうではないからかもしれません。まわりを見ても、退屈に耐えられている人というのは、いるのかいないのかはよくわかりません。しかし、退屈に耐えられない人というのはいます。

そうです。それは、かならずいます。。珈琲を扱う仕事をする人で、退屈に耐えられないという人は、確実に存在しています。そこからだいたい、人はおかしくなります。くたびれて気力がおとろえ、仕事のやり方もふくめて、おかしくなっていきます。わたしが思うに、ある意味で強固なのは、もっともふてぶてしく泰然自若としているのはおそらく、「退屈な珈琲」に耐えられる人なのです。

と、いう感じでさらりといつものように終わろうとしていたところで、自分は最近完全に忘却していたある出来事のこと、「想像力の貧困と欠如とによって支えられた、完全ないつわりの人生とでも言うべきもの」について、自分の存在が退屈すぎて「退屈な珈琲」にすら想到しないという人のパターンについて考えるよりほかない出来事に突き当たり、ふたたびいつぞやのように顔面を思い切り机に突っ伏しておでこを強打してしまいました。涙目で帰る寸前のスタッフにくだを巻いてしまったほどです。気がつけば2月が終わります。。

バーテンダーと珈琲

Posted: 2024.02.12 Category: ブログ Comment: (0)

バーテンダーと珈琲イメージ1

店主です。

元ノートコーヒーの舟戸貴織さんにすすめられて、『バーテンダー』を読んでいました。全編を通じて示唆に富んだ内容のものでしたが、その中でとくに印象に残った場面があります。
南浩一氏によれば、良いバーテンダーになる条件というのは、「誰かの言うことを最後まで聞くか、誰の言うことも最後まで聞かないか」だそうです。しかし、これはまさにコーヒーの仕事でも同じではないでしょうか? ここには、人が人から受け取るものについての、おそろしい含蓄があります。あいだがないのです。一見すると、誰かの言うことを最後まで聞くというのは簡単にも思えるのですが、このことはきわめて難しいことです。必ずどこかで疲れてしまったりするし、面倒くさくなってしまったりするし、自分が追いかけていた、あるいは自分が学んでいた誰かのことを、空気を吸うようにして裏切ってしまいます。あるいは、裏切りとまではいかなくても、結果的には言うことを聞かなくなってしまいます。聞けなくなってしまう、という方があっているかもしれません。全体を理解することもなく、「部分的ななにかのつまみ食い」(田口護氏)に陥ってしまうこともしばしばです。

しかし、それ以上に難しいのは、誰の言うことも最後まで聞かないということではないでしょうか。誰の言うことも聞かずにやるというようなタイプが、いつのまにか本人も気が付かないうちに、誰かの言うことの通りになってしまうというのはないでしょうか? 誰かの言うことを永遠に聞き続けない、というのは、本当にきついことなのです。それはほとんど不可能にちかいことで。。わたしは、このことについて、もう一度どこかで物事の意味を考えてみたいと思っていました。こういう自己欺瞞は手におえないのです。本人が自分をごまかしつづけることができるから、手におえないのです。

自己欺瞞といえばわたしはバーテンダーのことを勝手にコーヒーに結びつくように話をしてしまいましたが、おわかりのように注意が必要なのは、コーヒーの世界には「バーテンダー」に該当することばがないということです。シェイカー等でカクテルの調合をする人物、カウンター席が設置された酒場で、カクテル・ビール・ワインなどのアルコール飲料を提供し、飲酒する客をもてなす人物を指すようなことばが、コーヒーにはないのです。無理やり言おうとすれば、バリスタだとか、コーヒーマンだとか、(語源のオブスキュアな感覚を受け入れたとて)、うそ寒いなにかを感じさせるあのようなことばたちしかないのです。このあまりにうそ寒いものは、いったい何なのでしょうか? このことを言おうとするときに感じる、凍えるしかないようなおそろしく寒い感じのことは。。わたしは、このことについてもいくつか考えてしまいます。それはつまり、コーヒーというものの属人性のなさについてのことかもしれないし、コーヒーにある「加工」という概念に対しての、ある絶対的な不可能性についてのことかもしれません。それかコーヒーというものが人間にしてきた、あるいは人間というものがコーヒーにしてきた悪魔的な物事に対しての、無意識の斥力のことかもしれないし。。

このようなことをいうためにはもう少し時間をかけてゆっくりとなにかを読んだり書いたりしなければいけないかもしれないのですが、いまの自分の忙しさでは結局なにもいえないままです。

関市千疋 カフェ SO GOODさんへ

Posted: 2024.01.31 Category: ブログ Comment: (0)

【卸先訪問】

SO GOOD 様 

〒501-3954
岐阜県関市千疋690-1

窓際のカウンター席では、柔らかな光が差す田園風景を眺めながら素敵な時間を過ごせます✨

パスタのランチセットをいただきました。
お料理、ケーキはどれも絶品です☺️

※コーヒーはカフェ・アダチが一生懸命作っています☕️

ランチタイムは是非ご予約の上、お立ち寄りください😌





冬の小森の仕事部屋

Posted: 2024.01.25 Category: ブログ Comment: (0)

冬の小森の仕事部屋イメージ1

【イベント開催のご案内】

「冬の小森の仕事(しごと)部屋」

2/11(日)-2/12(祝)

昨年開催されて、なぜか全時間帯予約で埋まってしまった人気(?)の企画。

小森の、小森による、「個人事業をはじめたい人」の相談所。※「冬」仕様です。

人生、何が起こるかパルプンテ。

明日のことさえ、パルプンテ。

「何かやりてえな」

「アイデアはあるんだけどな」

「こんな人生いやだ」

これを機会に、(最近どこにいるのかよくわからない)小森を捕まえて色々話してみましょう。

【開催日時】
2/11(日)-2/12(祝)

11:00-16:45

※お一人様45分で、ご予約をお願いしています。

11:00-11:45
13:00-13:45
14:00-14:45
15:00-15:45
16:00-16:45

※1日5枠となります。
ペアでのご参加も可能です。

【開催場所】
カフェ・アダチ 焙煎小屋

【内容】
入室無料です。

小森ブレンド
1杯 400円(で飲めます)。

豆売り 1500円(1日1袋限定)

【部屋にいる人】
小森敦也(カフェ・アダチ代表)

【こんな人に来てもらいたい】    
どなたでも結構ですが、個人事業をはじめたい方を歓迎します。

もしくははじめた方で、人に聞いて欲しい話をお持ちの方。

(※得意分野はカフェ開業です)

大した見聞はありませんが、何でもお聞きかせください。

【ご注意事項】
・小森は本を読んだりしている時がありますが、気にせずご来室ください。

・万全の注意を払っていますが、もし寝ていたらそっと起こしてください。

・来客対応など、不在時はしばらくお待ちください。

・12:00-13:00はお昼ごはんのため、いったん閉まります。

・予約受付しています。0575230539
インスタDM、カフェ・アダチのLINEでも可。
(完全予約優先です)

【特にご注意事項】
コーヒー論争で討ち入り目的の方、コーヒー談義を目的とした方は、(大変遺憾ですが)この部屋では受付しておりません。

※当該目的の方は、どこか別の機会に小森を捕獲してください。

よろしくお願い致します。

企みと企て

Posted: 2024.01.25 Category: ブログ Comment: (0)

企みと企てイメージ1

店主です。

マーティン・スコセッシの29作目の映画を観ていて、考えたことがありました。考えたことというか、これはその時にたまたま近くにいた知人と話したことと、その後に思ったことの覚書です。といってもすべてがただの記憶でしかないので、いささか正確さを欠いた体験の記録かもしれませんが、一応書いてみようと思いました。

ちょうどそのころ、わたしたちの事業のまわりではうまくいかなくなったことがあったので、そのあたりのことをその人と話したと思います。わたしたちの事業のまわりで、少しずつうまくいかなくなったこと。より正確に言おうとすれば、自分たちのくわだてやたくらみがうまくいかなくなったというよりは、自分たちのたくらみやくわだてをめぐるまわりの出来事が、きれいにひっくり返ったような感じでした。

冒頭の映画では、因縁の深いギャング同士がある領地をめぐって、それこそとても細かな制約やルール、駆け引きをめぐり、さまざまな人間心理を含んだおそろしく繊細緻密な出来事が進行していくのですが、最後に南北戦争が起こり、土地建物がすべてなくなってしまいます。自分たちの想定していたものとはまったく違う外部のちからによって、瑣末な諍いがすべて消し飛んでしまう。みな茫然として終わりを迎える、そういう作品です。しかし、これはたんに歴史的事実に則ったフィクションという以上の、強い印象がないでしょうか? 人は現実に出来事に向き合うとき、なにかをあてにしていることが多いものです。あてにしているものは過去と呼ばれるものなのか、イメージと呼ばれるものなのか、意志とか呼ばれるものなのか、それがなんなのかよくわかりませんが、なにかをあてにしていることが多いものです。映画では、それは「縄張り」として置かれていました。個人で事業などをやっていると、このあたりの拠り所をめぐる精神的な逡巡は、あまりに強力なものです。しかし、現実の商売では、そこに「生産」の問題があります、自分のイメージや過去とは歴然と違った形で、はっきりとした「生産」の問題があります。つまり、自己生産能力の問題です。事業をやる上で必要なのは、どちらかといえば実際性のあるなにかを生産する能力というよりは、自分自身を生産しようとする能力なのであって、このことはよく見ようとしても揺るぎないなにかというよりは、どちらかといえばぼんやりと見えるようなものに思えます。

そういう条件で立ち上がりをみせて、それでもなにか商売的に形にしようとする時に、人はなにをあてにしたり、支えにしたりすれば良いのでしょうか? 決死の思いとか、そういうことなのでしょうか? あるいはそれとは正反対のこととして、人当たりの良さなどに向かって活路が語られることもあります。これは本当にそうでしょうか? 個人的には、少し違うと思います。なぜなら、自分に何が足りているか足りていないかを判断するのは、他人がなにを言おうと結局は自分自身だからです。だから、事業をやる上で強い人というのは、自分に何が足りないかわかっていて、それに気づけるというタイプの人なのです。そこから導き出されることとして、だから、理想とプライドが高い人というのは、相当きついのではないか。自分が折れるのが苦手だし、自分を戒めるのが得手ではないからです。

『変わるのは難しい。何であれ、変わるのは難しい。だが学び、成長し、進歩するためには変わらなければならない』(レイ・ダリオ)

ちなみに、わたしがいくらか上の場所で書いた自己生産ということば、ただのセルフプロデュースということばの言い換えのものです。これについては上手く書けないので、こういう書き方で終わるよりほかなく思うものです。

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