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「解釈」の感覚

Posted: 2020.07.28 Category: ブログ Comment: (0)

「解釈」の感覚イメージ1

店主です。

先日ある「悠然な」方とコーヒーにまつわるじつにやりきれない会話をしたとき、物事の解釈の仕方をめぐって話を(したような気が)しました。しかしそのことは、本当はよくわからない事でもありました。物事が、なぜそこまで「解釈」できるのかも、そして、その程度についても。たとえばジャック・デリダは彼のデビュー作の時期(実際には、彼の初期作品はかなり「書きかけ」で次の作品に移行しているので、正確な順番は当人にもよくわからないはず)において、エドムント・フッサールの「解釈」をめぐって考察をしました。

『記号作用のない記号、シニフィエのないシニフィアンなどというものは、本質的にありえない。(ドイツ語の)Bedeutung をフランス語で"記号作用"と訳す伝統的な翻訳の仕方は、寛容的に定着していてほとんど避けられないものではあるが、フッサールのテクスト全体を混乱させ、それをその「柱軸」の意図において理解不可能なものにしてしまうおそれがある。ドイツ語では、フッサールとともにある種の記号は意味を欠いていると不条理にならずに言うことが出来るが、フランス語では、矛盾せずに、ある記号は記号作用を欠いていると言うことはできない』(ジャック・デリダ、最初期の文献より)

私は彼がフッサール原稿のドイツ語版と、フランス語のいくつかの翻訳文をめぐるおそろしく微細な違いについて「しか」書きはじめられなかった点について、自分なりに考えていることがあります。(それは翻訳文化における文法学的な創造性や、その生成過程とは無関係な話です)。たとえばフッサール以前のドイツ語の哲学探究が「小さい坊さん」によって切断され、それ以上書き継がれることが不可能になったこと、そしてそれがフランスに移植されることでしか生育できなかったこと----フッサールとハイデッガーがなぜあれほど「苦しい」のかは、そのあたりに問題があると思っています。

しかし、フッサールはともかく、ハイデッガーの「俯瞰」は軽々しく扱われるものではないと私は考えています。それは解釈(を生きること)を離れて「解釈論」と戯れるようなスタンスにすぐに反転することと思いますが、本当にこういうひとたちが一番いやです。このことは自分自身への戒めでもあったのですが、最近は少し考え方がズレてきました。

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