店主です。
先日自分が古くから文学作品を読むときにいくらか参考にしてきた人が亡くなられて、その人に向けた追悼に触れる機会がありました。その人本人よりも、自分はどちらかといえば彼のふたつ世代がうえにあたる人たち、たとえば『意味という病』だとか、『表層批評宣言』だとかいう本の著者のほうにはっきりと影響を受けていた気がするのですが、まさかそのお二人よりもずいぶん若いと思っていたくだんの人物の追悼文を、さきに目にするとは思ってもみませんでした。このことは、自分にとっては驚きでした。うまくことばが見つからないような種類の驚きです。ちょうど二世代ほどずれているこの三人の関係性もとても興味深いものだったのですが、わたしが触れた追悼のことばを書いたのはその間の世代に位置するある文学評論家のもので、彼が問題の著述家の著書を徹頭徹尾「アジビラ」と評していたのも、自分には深く印象的でした。それに「アジビラ」ということばを聞いて、わたしは二つのことを思い出しました。ひとつは、亡くなった著述家の著作を「アジビラ」と評したその文学評論家に向けて、自分はおそろしく若い頃に、(本人の承諾を得た上で)、ある文学作品の論評を(当時彼のいた大学の研究室宛に)送った記憶があるということです。それに返事はありませんでした。
もうひとつ。自分はあるとき読んだ本のことを、読み終わりまでずっと「いつまでこのアジビラが続くのだろう」と感じていたことを思い出したのです。なんとなくそんなふう思ったことに該当しそうな本を片っ端から(というほどでもなかったかもしれないのだけれど)読んで、ついに思い出したぞ! と見つけたのが、第二次世界大戦下のドイツのある権力者が記した、『我が闘争』という本でした。
その本は、いま読み返してみても、そのころと感想がほとんど変わらない感じにかえってうろたえてしまったのですが。。そんなおりわたしはいまの仕事についてから関わることになった「コーヒー」というなにかの、そしてそのことばの使われているゆいいつの箇所を、その本の中に偶然のように見つけて止まってしまいました。ナチスの統領は、彼のほとんどゆいいつといっていいその自伝の中で、これまたゆいいつたった一箇所だけ、「コーヒー」ということばを使っていました。それはこのようなものです。
『わが国の場合のように、もともとうぬぼれ屋の愛国団体員や俗物的なコーヒーハウスの政治屋のまったく実現見込みのない、純粋な空想的おしゃべりが問題でしかない時には、とくにそれに妥当する。なにしろ新しい艦隊や、わが植民地の回復等々を要求する叫び声が、現実には単に無思慮なおしゃべりであるに過ぎず、実際に実行できる考えなどかれらはただの一つももたないのであるが、このことは静かに考慮すればおそらく少しの異議も唱えられぬに違いないからである。しかしイギリスにおいて、この半ばは無邪気な、半ばは正気でない、だがつねにわれらの不俱戴天の敵に内々では奉仕している抗議戦士達のまったくとんまな真情吐露が政治的にどれほど利用し尽されているだろうか、このことはドイツに有益だと呼ぶわけにはゆかない。かれらはこのように神と全世界に対する有害なデモめいたものによって疲れはて、すべて効果を収めるための前提である次のような第一原則を忘れている』(『わが闘争』アドルフ・ヒトラー)
自分は当時いくらか微妙な気持ちで目にしていたはずのその本の中で、彼がまさか「コーヒー」ということばを使って何か話しているとはゆめにも思いませんでした。この文章の微妙さはいうにおよばずですが、奪われたイギリス領アフリカ(イギリスの委任統治領としてのタンザニア)について触れていく彼が、その皮切りとなる文章で、「コーヒーハウスの政治屋」という文言をわざわざ使った点は、とくに微妙です。
『敵は予想すべきことであったことをただ行なっているに過ぎない。かれらの態度と行為から、われわれは学んでもよさそうなものである。しかし、このような見解の卓抜さを認めることをあくまで拒否しようとするものは、そうなれば将来永遠にあらゆる同盟政策が除去されるのだから、したがってまったく断念することしか道は残っていないことを、最終的になお熟考してもよいだろう。というのは、イギリスはわれわれから植民地を奪ったのだから、われわれはイギリスとは同盟できない』(ヒトラー)
戦後のドイツコーヒーの歴史から見ても微妙ですが、わたしが考えたことはもう少し別の事柄でした。アドルフ・ヒトラーは、(ことによれば)、フランス革命のやり直しを、たった一人でやろうとしたのではないでしょうか? しかも、20世紀の真ん中に向かっているなどという、ありえない地点の場所で。。自分はそんなことを考えてしまいました。この本の中で彼の言おうとしていることはすべて「アジビラ」だとしても、「博愛」ということばの正反対の概念をすべての行動と言動であらわしていた彼が、「コーヒー」ということばをフランス革命の端緒に向けた皮肉として使った事実は、地方都市のコーヒー屋の店主が片手間で触れるだとかよりも、もう少し誰かがきちんと考察しておいたほうが良い内容かもしれません。
そんなわけで読みたい本やら何やらは大量にあふれ、山積みになり、そんなの自分でやったら、と言われてしまう内容にも毎年のようにこのくらいの時期からコーヒー豆の受注がとても多く捌けるものも捌けないので、相変わらず焙煎機に「ぶうん」という音で、静かに火を入れる日々です。