店主です。
毎年この時期になると、ひょんなひとたちから決まって「アジア最大級の国際見本市には行かれますか?」だとか、「国際展示場駅で会えませんか?」とかいうことばを一定数投げられることになります。そしてそのたびに、自分はなにかの感想を持たないではない(もしかしたら何の感想も持ち合わせていないのかもしれない)そのしゅの出来事(との距離感)にめまいがしながらも、いちおうそれなりに気の利いたことをいおうとして----大抵の場合徒労とは釣り合いもなく滑って終わる----、というのを、ここ何年か繰り返していることに気がつきます。このあたりのめまいがしそうな出来事(に向けた距離感)のことを思うとき。。(それが自分自身のものなのか、そうじゃないのか、傾向としてこういうものごとのそばにあるものなのか、そのことはよくわからないとしても)、自分はある「途方もなさ」についてのことだったり、あるいは、ある「誠実さ」だとか、「ちからのなさ」について考えるよりほかないのですが。。この「ちからのなさ」というのがまた、このごろあった「もっとも特筆すべき出来事」の総体的な印象でもあったので、(想像もしていなかったことと、想像していたことの感想が完全に重なってしまったことにたいする、いいようのない違和感もあったと思うのですが)、手元にある飲みかけの「コモデティコーヒー」の味も、いくらかせつないものに感じてしまいます。
『パンは小麦粉から作られます。オーブンに入れたときに、小麦粉がどのようにパンになるのかが、ブッダにとってはもっとも大事なことでした。私たちは、どのように悟りをひらくのか? ここがブッダの、最大の関心でした。悟りをひらいた人、というのは、ブッダにとっても、またほかの人にとっても、完全で、望ましい人でした。人間は、どのように理想的な人格を発達させることができるのでしょうか? どのようにして過去の聖者たちは、聖者になったのでしょうか。パンの生地が、どのように完全なパンになるのか見つけるために、ブッダは自分で、何度も何度もパンを作ってみたのです』(『禅マインド ビギナーズ・マインド』)
自分はある哲学者がくちにした、「人類に共通する最大の弱さは、意味もなくなにか求めてしまうことだ」、ということばを思い出しながら、そのころちょうど気にしている人がどこかに現れたり、どこかからいなくなったりするといった、いくつかの場面を目にして過ごしていたわけです。人に共通する最大の弱さは、意味もなくなにか求めてしまうこと。。上の引用でいわれる「パン」というのは、もちろんいわゆる「パン」のことではありません。それはつまり、「比喩としてのパン」なのですが。。しかし、パンそのもののたとえよりも、わたしはかつて「パン焼き器」だとか、「オーブン」だとかいう比喩で、自分に向かってなにかをくちにしたひとのことばのこと、わすれがたいあることばのことを思い出します。
『いずれにしろ、私たちは、じっとしていることはできません。。なにかをしなければならない。そのとき、(大切なことは)、自分を観察し、注意し、そしていま、ここの、自分に気づいていることです。私たちの方法は、パンの生地をオーブンに入れ、そして、注意して見守ることなのです。どのようにパンの生地がパンになるのかわかれば、悟りを理解できるようになるでしょう』
自分がパンそのものであるひともいれば、パンを焼くために生きているようなひともいる。そもそも、パンを焼くには、焼くためのものが必要です。「高級パン焼き器が、ルンバになろうとしてもなれない」。それがわたしが聞いた、忘れがたい比喩の話です。ひとの性質のことでいえば。。たしかに、パン焼き器ではなくて、ルンバのようなひともいます。あちこち動き回って、何かを吸い込むのを使命としているようなひとたちのことです。わたしもかつて、自分のことをルンバかなにかだと思っていたのですが。。それがそうでもなかったと気づいたとき、かたわらにはコーヒーがありました。
さきの哲学者や、上の高僧のつぶやきのように、ひとは自分のことをこねくりまして、永久に焼けないパンのまま、パン生地のままでいようとしているところは、確かにあるわけです。しかし、人生はただなにかをこねくりまわしていれば、あるいはただなにかを寝かせていればいいというわけでもありません。そして人生が面白いのは、そういうタイプの人が、高級パン焼き器に出会った瞬間あっという間に焼成して素晴らしいパンになってしまうことがあるところです。
自分はこの数週間のうちに、(比喩ではなく)死にかけたり、もう二度と会うことはないだろうなと思っていたひとと遭遇したり、おんなじことが起こってうんざりするだろうなと、起こる前からあるものごとに対してうんざりしながら、高級パン焼き器の誰かが、特性からはずれて自走するルンバになっているさまを見ていました。それはもしもう一度そのひとに会う機会があれば、自分はこう思うけどと伝えてみようと思った事柄でした。