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定休日:金曜、第一木曜

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動詞として考えるコーヒー

Posted: 2024.06.08 Category: ブログ

動詞として考えるコーヒーイメージ1

店主です。

せんだって某コーヒー関係の人と話をしていたとき、(加齢からくるわたしの聞き間違いだったという可能性を否定できるわけではないのですが)、「コーヒーの終活」という、飲み終わりのコーヒーカップを置く手がブルブルふるえるしかないようなパワーワードを耳にしました。それはここ最近の(わたしよりもふたつだとかみっつだとか)上の世代のひとたちのコーヒーの「活動」、もしくはコーヒーにまつわる「作業」に向けられていたような気がしますが、わたしは誤解や曲解が多いタイプなので、はたしてそれが本当にそういう内容だったかはよくわかりません。。しかし、「終活」といわれるときにほのめかされたりする、あるしゅの「活動」や「作業」については、このごろ思っていたり考えていたりしたことと同じことだったので、相変わらずそのまま一方通行の沈思黙考に進んでいったわけです。

(なにはともあれ)商売をやっていると、それでどれだけお金が稼げてもそれでどれだけお金が稼げなくても、結局最後に自分自身が見出すのは「日々なにかをすること」、誤解を恐れずに言えば「作業」になるという問題があります。商売として自分がしたいことだけをするというのは、(世の中から受け入れられない可能性が増すという側面があるとしても)、この観点から見ると決して無視できないなにかを含んでいるのです。わたしは同業のコーヒー屋さんが、大きくなったり、小さくなったり、現状維持したりしようとするさまざまなかたちを見てきました。本当に、さまざまなありようを見てきました。コーヒー屋さんとして事業規模が大きくなったところは、代表者のやるべきことはどんどん変わっていきました。たとえば、美味しい(かどうかはわからないとしても)コーヒーを焙煎したり、美味しい(かどうかはやはりわからないとしても)コーヒーを抽出したり、そういうことからはどんどん離れて行きました。そして、その先にあったりするのが、本人がいわゆる社長業というもの以外のことで身動きが取れなくなったすえに、「おれのやりたいことってこれだったのかな」という葛藤から逃れられず、大きなそこをやめて小さなコーヒー屋さんを、いちからやり直すというような出来事でした。お金は稼げたとしても、結局もとあった場所にかえったのです。

ここには、なにかの真実があります。どれだけお金を稼いだとしても、日々何かをするということから人間が逃れられないという、真実があります。。ここから逃れられることはほとんどありません。商売をやるときに気をつけなければいけないのは、あるいは商売をはじめてから時間がある程度経過したあとに問題になってくるのは、自分のはじめたことで「お金を稼ぐこと」と、「そのことをやめる」という意識とどう向き合うのかということです。人によっては、それだけで十分だという人もいると思います。つまり、「お金を稼いで」「稼ぎ終わったらやめる」という、それで十分だという考え方です。それも立派なことです。しかし、(ゴダールが指摘するように)、消滅(終わること)が最終目的である出来事が歪まずに機能した例を、わたしはあまり知りません。国際NGOの販売活動だとか、モントリオール議定書の改正だとか、ジョン・ライドンが歌い手を務めたロックバンドだとか。。「消滅が最終目的」である動機の出来事が歪まずに進んだ例を、わたしはあまり知りません。

『何かをするとき、「私は何かをやっています」と言うことはできません。他なるものから完全に独立して何かをしている人は、そもそも存在しないからです。私が何かを言うとき、あなたはそれを聞きます。私は自分だけでは、自分の力だけでは何もできません』(鈴木俊隆)

コーヒーがそこにおさまりを見せる仕事、たとえばコーヒー屋だとかカフェだとかいうことばは、名詞というより、実は動詞に近いなにかです。それは(スピノザの言うように)「行為によるなにか」ではなくて「行為そのもの」なのです。少しややこしいこのことがわからなければ、(ジャック・デリダの言うように)、コーヒー屋は、あるいはカフェは、ただ店名をつけただけの固有名詞になります。それをはじめたひとが抱えこむ、ひとつの固有名詞になります。その固有名詞はしだいに「形容詞」となり、はじめたひとを苦しめることになるでしょう。賞賛であっても批判であっても、どちらにしてもはじめたひとを苦しめることになるでしょう。わたしは、(なので)、動詞としての「コーヒー屋」だとか「カフェ」だとか、そういうものを気にしています。物事が行為と結果に分かれるだけではない可能性を、勘定に入れているのです。

卸先訪問 喫茶ボヌール様

Posted: 2024.05.09 Category: ブログ

【卸先訪問】
喫茶ボヌール 様
〒500-8222 岐阜市琴塚2丁目8-5

 

アダチスタッフです☺️

卸先のボヌールさんにお邪魔しました☕️

 

手作りグラノーラとお豆腐マフィンと喫茶✨️

店内は綺麗で優しい雰囲気に包まれていました🫧

 

オリジナルブレンドコーヒーはアダチの豆をお使いいただいております☕️
深煎りのブレンドは、一杯一杯、丁寧にハンドドリップされています。

 

期間限定のドリンク、【きんかんジュース】
優しい甘さでさっぱりとしたドリンクです🍊

 

お豆腐マフィン、グラノーラも種類豊富でした☺️

 

定休日をご確認の上、是非訪れてみてください😌

卸先訪問 カフェ茶房宗休様

Posted: 2024.05.04 Category: ブログ

【卸先訪問】

関市 善光寺境内に建つカフェ+1にち1組限定の宿、茶房宗休さんにお邪魔しました。

 

四季の移ろいを楽しめ、今は新緑が綺麗でした🍃

 

珈琲 甘いもの 軽食

落ち着いた時間を過ごせます。

 

本日いただいた水出しアイスコーヒー。

丁寧に、時間をかけて抽出されたコーヒーは、香よく丸みのあるものでした☕️

 

キャロットラペとハムのサンドは、初期からある、こだわりのメニューだそうです✨

さっぱりとしており、美味しくいただきました🥕

 

オリジナルブレンドのコーヒー豆はカフェアダチでお作りさせていただいております。

 

お時間のある方はぜひお立ち寄りくださいね☺️

 

取り消しへの強制

Posted: 2024.04.29 Category: ブログ

取り消しへの強制イメージ1

店主です。

自分でも知らないうちに自然な流れのようなものにのって、某ポッドキャストの番組に出演することになり、そうこうしているうちに受け取ったテーマが「自分らしさ」ということだったみたいなので----もっとも不意を突かれるような題目だったということもあったので----またぞろうろたえて岐阜市神田町の珈琲屋の店主に泣きそうな顔をしながら落ち着けというようなことを言われていたのですが、そういう気持ちとは別のところで、わたしはいくつかのメッセージのやりとりのあいだにハタと手が止まり、そういえばこういう種類のことに関して、いつかどこかで何かを読んだことがあるなぁ、と思いながら記憶をたよりに本を読み返していました。「自分らしさ」で言われる「自分」というものが、「比喩」らしいのにそれが切断できないこと、そしてそれよりもっと手前にある意味強制と意味取り消しへの強制の均衡について、いくつかのことを思ったり、思い出したりしていたのです。

『比喩と比喩本来の意味と想定されているものをつなぎ合わせる「代替の連鎖」が、常に切断可能であるとは限らない。そうした連鎖は、真偽を確かめられない仮構的な推論に支えられているからである。観念の場合、それらが言語外的な諸実態を指示する名前=名詞なのか、それとも単なる言語の幻影(フィクション)なのかを決定することは不可能である。同時に、こうした問題を中吊りのままにしておくことも不可能である。意味への強制と意味取消しへの強制は、決して相殺し合うことがないからである。こうした性質上、言語はみずからが何かに関わっているのか否かを決して見極めることはできない』(『読むことのアレゴリー』)

これは『第二論文』についての考察です。かくいうわたしも、「自分らしさ」なるものを問われたとき、最初に想到したのがルソーのことばでした。「自由とは、やりたいことをやれることではなく、やりたくないことをやらなくてよいことだ」とかいう、あのことばです。そういうものが自分らしさなのでしょうか? 

ルソーがものを書くことについて、「私が世界について抱いている表象を、私が他者に伝えようとする表象に合致させること」(アラン・グロリシャール)としていたことは、この比喩と意味の困難を見極めつつ、かつその限界にまで突き当たっていたことであるようにわたしには見えます。それは、本当に「限界」です。

もうひとつ、ついこのあいだ(といっても二ヶ月くらいは前のことだと思うけれども)、わたしのお店にふらりとあらわれた人が、「自分はそれでもフレームを探す」と言い残して、その場を去って行ったことを思い出しました。わたしはそのとき、「意味への強制と意味取消しへの強制は、決して相殺し合うことがない」(ポール・ド・マン)ということばを、痛切に思い出す出来事の手前にいたのです。だから、それはもはやそれぞれの責任だとか、そういうふうに言えるかもしれないよなとくちびるを噛みながら思っていたところで、気配を感じて窓の外を見ると、ある人が笑いながら手を振っています。

わたしはドアを開けるのですが、顔を出したその人が渡してくれたのは、遠方から持ち帰りのおみやげでした。ふっくらと焼かれたコーヒー豆。裏返してそれを焼いた人の名前を見て少し、口元が緩みました。

こんにちは☺️

 

2024年3月9日にオープンしました、【パンとコーヒーの店 はじまりのうた】さんにお邪魔しました🐸

岐阜県岐阜市岩崎3−5−4

 

コーヒーは、はじまり深煎り深煎りブレンドをいただきました☕️

深い香りとコク、良質な苦味で最後まで美味しくいただきました✨

コーヒー豆はカフェアダチでお作りしております😌

マスターが一杯一杯、丁寧に淹れてくださいます♪

 

コーヒーのお供はカフェシュンカさんの絶品ココナッツメレンゲ💖

 

パンは種類豊富で迷いましたが、ベーコンエピと焼きたてのカレーパンをいただきました☺️

どちらも美味しくいただきました😋

 

カレンダーをチェックの上、ぜひ行ってみてください❗️

 

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