店主です。
わたし個人の話というよりは仕事上の立場から来る内容かもしれませんし、進んでそういう状態になろうとしているところも(ややもすれば)あるのですが、職業柄「カフェをやりたい」という人に出会う機会が多くなりました。わたしが代表を務めている事業が、そのように地方新聞に取り上げてもらったりすることも増えてきた中で、あらためてそんなことを思うようになったのです。コーヒースクールの二期生さんにも、ラストの回に「お店の経営について話してほしいです」という要望をいただいたので、予定していた講義を差し替えにして、カフェの運営についてのことを話したくらいです。しかし、わたしは、経営については少ししゃべりすぎです。もういい加減にしておいた方が良いという気がします。講座を終えたあとにふと手を止めながら、わたしはいくつかのことを考えていました。しかしそれは経営に関わるようなことではなくて、何かを台無しにしたという思いの、数日前のある出来事のことでした。
日付が変わり、予定されていた出来事を済ますための東京へ行く日の朝が来ました。わたしはあまり気分が変わらないままスコット・フィツジェラルドの本を読み、黒胡麻のついたパンのたまごサンドと、泡の多いソイラテを口にしていました。名古屋駅の同じ場所で、もぐもぐしながら、ゴクゴクし、新幹線の乗車前はだいたいいつもそんな感じです。
コロナ禍での二度目の東京は、季節感もあってか色とりどりの生地で顔の下の半分を隠した人々の違和感もそれほどのものではなく、まったくあたりには人が多すぎると感じたほどでした。一冊の本を片手に、新宿や渋谷という過剰なほど記号に溢れた場所を練り歩くわたしは、本当に自分はこんな場所で、10代の終わりから20代の半ばまでを過ごしたのだろうか、と思いました。あのころ東京にいたのは年数をかけて予定されていた出来事のためでしたが、わたしはそれを、画されたものとしてきちんとこなしたわけではありません。どちらかといえばむしろ、スポイルしたほうなのです。数日前を端に引きずったままの出来事は、静かに胸を塞いでいました。わたしは知らず知らずのうちに、その日予定されていた出来事も同じように台無しにしてしまいました。
降って湧いたように生まれた長い空き時間を使って、わたしはポートランド以来のスタンプタウンコーヒーの豆を眺めに、幡ヶ谷に足を向けました。レコード盤で回されるシュギー・オーティスのギターを聴きながら、年季の感じられる木製テーブルの傷の上にそっと腕を置き、供されたものの味をくちにふくんでいると、何か懐かしい時間の訪れを感じたのです。ようやく少し、ほっとしました。ロック・ミュージックと言えばかつてジョン・レノンがぶっきらぼうに放った名言のようなものはたくさんあり、だいたいどれもわたしは好きなのですが、中でも「人生とはある物事を計画しているときに、まったく別の物事が進んでいくことだ」と言うのが殊勝に思えます。片手でほおづえをつき、ぼおっと店内を眺めていたわたしは、じっと黙ったままその意味を考えました。あるいは止まり木になりそうな目印もないまま、ただ虚空に向けた視線が泳いでいただけかもしれません。
自分はどうしてカフェをやろうと思ったのでしょうか。勤め人になれないという予感を粗雑に言いくるめるために、「カフェでもやろうか」とうそぶいていた時期と、現実にそれが見えはじめた二つの時期は、重なるようでいて実は違います。そのふたつは似ているようで、決定的に違っているのです。それに気づいたわたしは稲妻にでも打たれたかのように立ち上がり、会計を済ませたあと、昔住んでいた場所の近くのカフェを訪ねました。潰れていないのが不思議な見覚えの中古CD店を過ぎ、いっとう通ったというわけでもない、しかし忘れられない何かの意味を含んでいる気がするカフェに、自分でも不思議な気持ちで足を向けたのです。古木戸をくぐった先の店内はおそろしく暗く、覚えていることと忘れたことが、はっきりと残っていました。
わたしは人からカフェをやりたいと言われるとき、人生が気詰まりだから、やりたいことをやりたい、カフェくらいはやってみたい、というようなことを言われます。よく、そういうニュアンスのことを言われるのです。しかし、人生がうまく行かないからカフェをやるだとか、人生はうまく行かないけど、カフェをやることくらいはうまく行くだろうというのは、何の目論見なのでしょうか? カフェというのは、誰がどういうふうに言おうと、人生の一部でしかないのです。人生はうまく行かないけど、人生の一部であるカフェ経営くらいはうまく行くだろうというのは、虫の良い話でしかありません。そしてそれはずいぶん好い気なもので、いまの仕事をする前の、かつての自分自身の気分そのものでもあるのです。
仄暗いカフェは、店内に灯るわずかなロウソクの残り火そのままに、22年間の寿命を終えようとしているところでした。とくに誰だということもわからず、その日最後の客に向けた声色でお店がなくなる事実を告げた店主を見上げたわたしは、支払いを終えて名乗れなかったことを思いながら、古木戸を反対側から抜け出ました。そして自分がそこを再訪したのが20年ぶりくらいだったという事実に、ようやくそのとき気がついたのです。