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コーヒーとコーヒーの自家焙煎

Posted: 2022.08.29 Category: ブログ

コーヒーとコーヒーの自家焙煎イメージ1

店主です。


ある時期から深くカフェの開業希望者と話をしている中で、何度も繰り返されているような話があります。究極、コーヒーについて、あるいはコーヒーを深めて、という観点から見返すのであれば、わたしはそのあたりのアドバイスの話をしたり、あるいはしないでおいたりするのを繰り返しているだけなのかもしれません。コーヒー屋さんをやりたいのだけど、自分でコーヒーを焙煎した方が良いのか、自分でコーヒーの焙煎をしない方が良いのかわからない。なんとなく、そういう内容の話です。微妙なニュアンスだったり、目指しているものの形だったりはそれぞれ違うと思いますが、なんとなく、そういう内容の話です。ここには、いくつかの整理すべき点があります。


まず、コーヒー屋というのが何をさすのか、という問題があります。そもそも、という人もいると思います。自家焙煎珈琲店でなければ、それはコーヒー屋さんといえるのかどうか、と。自家焙煎珈琲店でなければコーヒー屋ではないというような意見は、何かの意味を強烈にあらわしていることは間違いないとしても、どう考えても言い過ぎの嫌いがあります。何かの意味を色濃くあらわしているのは間違いないとしても、それはどう考えても言い過ぎなのです。あるいは、こういう人もいます。焙煎はお金に余裕があって、やりたいのであればただ焙煎機を買ってやれば良いだけの話ではないのか、と。自分の事業をはじめようという人で、お金が無限に用意できるという人はあまりいないと思いますが、たとえそうではないにしても、お金があれば焙煎機を買えば良いし、なければ焙煎は諦めた方が良いというのも、回答としてはいくらか不十分です。ぼやっ、とした言い方になりますが、焙煎を「目的」とするのか、「手段」とするのかで、コーヒーを中心としたお店のやり方は大きく変わると思います。これは、自分のやりたい/やりたくない、とは少し種類の違うものです。もちろん、資金がふんだんにあるだとかないだとかいうのとも、また違う問題です。ここが非常にあいまいでもっとも捉え難いですが、大きなポイントです。感情を排して理知的に構える姿勢というのは、事業運営のすべてに共通する考え方で、ここをあいまいにすると、長い目で見たときに痛い目に合う可能性があります。あるいは、顧客満足と自己満足の折り合いをつけるのに、終始苦労する可能性があります。ここが、一番の問題なのです。


コーヒー焙煎の実践の問題自体は、多くの先達や有識者たちが、婉曲かつ用心深く言及しているように、それほど難しいものではないと思います。それは、おそらく機械性能の自動的な要素含んでいる割合がどうだとか、釜のサイズがどうだこうだという問題をこえて、ある程度共通のものではないでしょうか。難しい、というか成り立ち難いのは、生豆の選び方と、それをどういう焙煎度合いで仕上げるか、という数理的な部分です。あるいは、世の中にそれを商品として介在させるための、感性的な部分です。ここは少し特殊な智力と、体験による積み重ねの作業が必要になるかと思います。日々の研鑽を積みながら、安定して真にオリジナル(この言葉にも注意が必要ですが)なコーヒーを作り続けること。そして、それを安定して世の中に介在させ続けるためには、ある程度の覚悟が必要です。しかし、それも本来他人がこれくらいといった風に、定量的に目の前に広げてみせるようなものでもないというところがあります。


『頭のいい人で人の仕事のあらはわかるが自分の仕事のあらは見えないという程度の人がある。そういう人は人の仕事をくさしながらも自分で何かしら仕事をして、そうして学界にいくぶんの貢献をする。しかしもういっそう頭がよくて、自分の仕事のあらも見えるという人がある。そういう人になると、どこまで研究しても結末がつかない。それで結局研究の結果をまとめないで終わる。すなわち何もしなかったのと、実証的な見地からは同等になる。そういう人はなんでもわかっているが、ただ「人間は過誤の動物である」という事実だけを忘却しているのである』(『科学者とあたま』寺田寅彦)


いずれにしても、コーヒー焙煎というなにかは、他人のアドバイスが役に立つことが少ないし、自分の意思が素直に役に立つことが少ないという、じつに困った事柄です。実際に焙煎をはじめることが正解かどうかは、わかりません。はじめることが正解かどうかはわかりませんが、はじめるためには色々と考えることも必要ですが、そうでないことも必要です。なぜなら世の中を見ていると、焙煎をはじめている人は、不勉強でも、まずい豆しか焼けなくても、結果お店を潰しても、はじめる前から他人に強力に止められても、結局焙煎をはじめてしまっているからです。焙煎をやろうかどうか迷うことは、事業運営に差し当たっての賢明さの担保としても捉えられるという側面があるのでしょう。あとは時間だったり、あるいは消去法と呼ばれる何かの機序が、事業運営をする人々の行く末を固めていくだけなのかもしれません。


ひとくちに自家焙煎珈琲屋さんといっても、タイプは様々です。最初から焙煎をはじめる人もいます。途中から焙煎をはじめる人もいます。まったく商売になっていない人もいます。「コーヒーの焙煎はした方が良いですか?」の問いに、わたしはぼやっ、としたことしか言わない(言えないと思っている)タイプですが、そうでないひともいます。まったく、そうでない人もいるのです。そういう人のあたまの中を覗いてみるのも、迷っている人にとってみたら、何かの知見になるかもしれません。


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