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他者と予断

Posted: 2020.11.25 Category: ブログ Comment: (0)

他者と予断イメージ1

店主です。


新聞の連載期間からずっとポール・ヴァレリーについて何か書こうとしていましたが、あと少しのところで何度も頓挫しました。仕方ないことだったかもしれません。同時に読んでいたのが、ウィリアム・フォークナーです。ヴァレリーに向かったのと、ほとんど同じ理由です。わたしはフォークナーの良い読者ではないし、すべての著作を丁寧に読んでいるわけではありませんが、その後のイスパノアメリカ文学や、第三世界の文学がすべてフォークナー的視点から出ていることは、私的に理解しているつもりです。それは、ガルシア=マルケスを読む前からわかっていました。


『あなた方は敵を均衡を崩すほどに揺さぶり、敵は今とても傷つきやすい状態にあります。だから少しここらで立ち止まってください。劣勢だからというそれだけの理由で、いつも負け犬に自動的に同情することによって、問題点を曖昧にする有利な機会を、敵に与えないで下さい』(『黒人の指導者たちに宛てた手紙』ウィリアム・フォークナー)


わたしがもっとも好きなフォークナーの著作は、『黒人の指導者たちに宛てた手紙』です。そこでフォークナーは、自身が黒人になったらというスタンスで、白人を照射し、黒人を照射します。そこでは、ありえないもの、なりえないもの、共感という形のおよばないものについて、反転した立場でしか書けなかった言葉が、ギリギリのやり方で紡がれています。本当に、ギリギリのやり方で紡がれています。


『私はこうも言いたい。わが種族は人種差別の社会がいつまで続くという状態にではなく、あの確固たるたゆまぬ弾力性が必要な限り続いていくという状態にみずからを心理的に適合させなければならない、と。そうすれば、ついには白人の方でうんざりしてしまうだろうから』(フォークナー)


白人が黒人になりうる。そんなことはもちろん、ありえないことです。しかし、わたしはこう思うのです。あることではなく、「ありえないこと」について書くことこそ、「書くこと」ではないか。書くことが書けないこと以外の残滓でしかないという、悲しい人がいます。けっこうな感じでいるのではないでしょうか。わたしはなぜか、そういう人に、滅法弱いのです。そういう種類の、とても知的な人たちに。現実にもいます。他人について、他者の感情について、傷ついたものや虐げられたものについて。そういうものに軽々しく言及することなど、本来はありえないこと、あっていいのかさえわからないことです。そしてそれは時として、たしかに「蒙昧」です。しかし、私はやはり言いたいのです。そのありえないこと、形になりえないものについて書くことこそ、「書くこと」ではないのだろうかと。


『常にたゆまず確固として弾力的でいよう。しかし、常に上品で平静を保ち、礼儀正しく威厳を保ち、暴力に訴えてはならない。そしてわけても、忍耐を持って取り組もう。白人は三百年も費やしてわれわれに忍耐強くするようにと教えてきた。その忍耐強さこそ、少なくとも一つは、われわれの方が白人に優っていることの証である』(フォークナー)


わたしは死期の迫ったジャック・デリダが「歓待」についてずっと考えていたことは、このこととどうも関連があるような気がするのです。内容は違いますが、ヴァレリーについて考えているのも似ていることです。年末までに、何か書けるでしょうか。


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