
店主です。
私は、自分がたまたま代表をしているカフェ・アダチというお店を「自家焙煎珈琲店」だと思っていますが、自家焙煎珈琲店であることをことさら強調しているわけではありません。コーヒーについて、コーヒーに関して、(そうは思わないと言う人もいないわけではないと思いますが)私個人としては、自家焙煎でなければコーヒーはコーヒーではないというふうに思ったことはないし、自家焙煎をしていなければ、そのコーヒー屋は理想的な姿からの縮減形であるだとかも、思ったことはありません。ただ、こういう感覚もほとんど無意識なのですが、時折どういうことかを思い出したり、考えさせられたりすることがあります。
たとえば先日立ち寄った珈琲屋さんが、「自家焙煎珈琲店」だとつよめに謳っていたので、私は焙煎機がどこにあるかを聞いただけだったのですが、何かを刺激してしまったようでした。そのお店は、ほど近く、歩いて行ける場所に「コーヒー焙煎事業者」があり、そこからいつも焼きたてを仕入れているので、私のお店は自家焙煎珈琲店である。店内(あるいは敷地内)の焙煎機の設置の有無は関係がない、というようなことを言われました。なるほど、これは何かいいようのない説得力があります。
自家焙煎珈琲店でも、自分のはじめた(あるいは人から譲り受けた)最初のお店に続けて、その世界観を拡大する形で二号店、三号店を出店されるお店があります。しかし、その多くの場合、各店舗に焙煎機が設置され、各店舗に専属の焙煎人がつき、各店舗でつねに焼きたてほやほやのコーヒーを出している、というわけではないようです。そうなると、自家焙煎珈琲店の(焙煎機の置いていない)複数店舗と、上記に挙げたお店との差はどこにあるのか、という話になります。なぜなら、ひとつの場所から配達された豆が届くという意味では、親元の自家焙煎珈琲店にひもずけられた二号店も三号店も、すぐに配達してもらえる焙煎機の置いていないコーヒー屋さんも、本質的なところでは何も変わらないからです。それでも違いはあります。たとえば店名を掲げた看板に同じロゴがついていることや、味作りのイメージが統一されていること、「抽出技術の共有が前提とされている」ことなど。。しかしそういうことであれば、焙煎機が一台しかない、一店舗目の世界観をそのまま増やしたわずかな規模の数店舗と、もっと巨大なコーヒーの全国的なチェーンストアとの差はどこにあるのかという、これまた別の問題が出てきます。そしてどうしてもよくわからないのが、冷静に見てみると、われわれはそれでも何かの線を引いて、この問題を見ているような気がするところです。
自家焙煎珈琲店がチェーンストアになれない理由は、個人的にはもう少し別のところにあるように感じているのですが、もしそうではない形でグループ体が成立するとすれば。。それはどんな状況なのでしょうか? たとえば、強力なリーダー店が自社で焙煎機などを開発し、その機械を推奨しながら、それぞれのお店に設置する。それぞれの店名を尊重し、哲学だけを通底させながら、生豆の共同卸体でも形成すれば良いのでしょうか。
この方法的な広がりは、ひとつの自家焙煎珈琲店にとって「究極」のものです。おそらく、これを超える方法など地上に存在しませんが、バランスはタイトロープのようでもあって。。私はコーヒーの仕事を通じて、この界隈の出来事に対して、本当にさまざまなことを受けたり、聞いたり、考えたりしてきました。
何が「自家焙煎」か?
事実だけを取り出しても理解できないし、好き嫌いや感情的なものだけで、輪郭を描くこともできない。それでも多くの人が何かの線を引いて見ていたり、知らないあいだに自分で線を引いていたりする何かのことを、自分は可能なかぎり何の判断もはさまずに仕事をし、できるだけ冷静に見ていようと思ったりするわけです。
