店主です。
先日閉店後遅くまでコクウ珈琲さんと話していたことは、いつも形を変えながら自分が考えていたことで、しかも硬直したわたしの思考をブレイクスルーする鍵でもあることでした。わたしがコーヒーの世界で一番いや(たんに個人の審美的領域の話です)なのは、何かが「謎に詳し過ぎる」ことです。それは根本的な部分で自分のコーヒーの知識が乏しいことと無関係とも思っていませんが、「詳しさ」がつらいのです。とてもいやなのです。
わたしは「あるコーヒー団体」に(かろうじて)所属しており、階層上位の人々と話すだにいつも同じような出来事に閉口していました。それは、やはり、「詳しさ」に関わっていたと思います。「公共の目的を無視して私利私欲に走り、全体を無視してまでも」(ヘーゲル)詳しさを追求する。わたしは個人的に、観念論のようなニュアンスで彼らと距離を取りましたが、固有名詞的な優性はいつも「観念論的」にであれば簡単にやっつけられるし、スコラ哲学的な言葉のこけおどしは、本来空疎なものです。
わたしはこういう図式を超越するくらいとてもわかりやすく、人々に受け入れられやすいコーヒーを、ニコニコした「女性」が提供している自家焙煎珈琲店がどこかにあるはずと探しています。ずっと探しています。それは自家焙煎にある男性性の理論化などすべてアホのように吹き飛ばす圧倒的な痛快さを探していることと、あまり違いはないと思っています。そしてこの「女性」というのは女性「性」のことであり、実際の性別ではないことは、ここまでの文章をある程度まで刮目して読まれた方には百も承知のことと思います。