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所感

Posted: 2022.01.10 Category: ブログ Comment: (0)

所感イメージ1

店主です。


年始にまとまった時間があったので、ときおり子供たちに飛び蹴りや突き倒しなどを喰らいながら、いくつかの本を読んでいました。


本を読むことについては、ふだんからそれほど意識しているわけではありません。人に何か言われたりもしますが、自分の周りにあることとも思えません。必要のない断りを何度も入れているかもしれませんが、わたしは本読みをことさら面白いと思うタイプの人間ではないし、くわえて読書が趣味というわけでもありません。しかし、たまに(本当にたまに)何か面白いと思うときもあります。というか、面白い読み方を見つけるときに少し、目が離せなくなるときがあるのです。


『珈琲について深い理解を持つなどということは、必要はありません。珈琲の文献を読むときも、そうした本の一行一行をまったく新しい心で読まなければなりません。「私は珈琲が何か知っている」とか、「私は珈琲がわかった」などというべきではありません。つねに初心者でいるということ、ここに珈琲の本当の秘密があるのです。このポイントは、とても、とても大切です。ここに、珈琲の秘密があるのです』


これは「珈琲」という箇所が別の言葉の本だったように思いますが、わたしにはもはやそうであるようにしか見えてきません。優れた先達たちも、おそらくそのような読み方を、自分の仕事の深め方のうちに見つけてきたのではないでしょうか。そして、われわれもはじまりの時点があった以上、誰かから何かを学んできたというところはあるのかもしれません。わたしは「前後」にまつわる物の見方・考え方はあまり好きではないのですが、それは、確かにそうなのです。


『誰に何を習ったかというのは、さしたる問題ではない。本物のノウハウというのは形が見えないので、人から習ったようには思えないからだ。大切なのは自分がクリアーできる範囲内で、何ができるかを考えていくことだろう。無理をしない。歪めない。格好つけない。欲張ったら全てがダメになってしまう』(田口護氏)


この「感じ」を言うのに、苦労をしているのがいまのわたしです。生きていれば立場や態度は変わります。これも、さしたる問題ではないのかもしれません。しかし、わたしは上のことばの圧倒的な正しさは認めながら、同時に別の何かのことに沈思しています。深く、沈思しています。それはほとんど何かを言いながら、何かを言わない感じなのかもしれませんが。。しかし、それは何も言う必要がないということとは、まるで違うのです。


この感じを言うのに、もっとうまい言い方はないのでしょうか。わたしは年を跨いでも変わらず何か、ずっとそのことを考えているのですが。


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