萬屋町の蕎麦屋さんから聞いて読んだ本が久しぶりに面白い本でした。東京神田鶴八の店主諸岡幸夫氏が書いた本なのですが、これが滅法面白い本でした。本当に面白い本だったので、ずっと読んでいます。 『「おい、幸夫、ちょっとこっちへ来い」と呼ばれて、「何ですか」って行きますと、お客様がカウンターの前にいらっしゃって、そのお客様のためにお鮨をにぎっているんですけれども、つけ台の上に乗せたお鮨を指しまして、「見てみろ、よくできている」と。お客様は食べるにも食べられないわけです。「よく見ろよ。一日にそれこそ何百とにぎるけれども、自分が気に入ってよくできたなっていう鮨なんて、そんなにあるもんじゃない。よく見ておぼえておけ」 そのよくできたお鮨というのは、はっきり言って、自分の手にしっくり合っていたお鮨なんですね。要するに決まった手順で、自分の思っているとおり、遊びがまったくなくって、無理が全然なくて、言うならばスーッとスムースにできて、(…)つまり、プラスの要因は何もないのですけれども、マイナスをいくら減らせるかというのが、ある意味仕事ですから、そのひっかかるものが何もなく、スーッとできた、ああ、これはよくできているなというのが、まれにあります』 これとまったく同じあらわれ方をしているものを、自分はそれこそ萬屋町の蕎麦屋さんのお蕎麦に感じていました。それを思ったので、この本のとっかかりにそういうことを感じたので、とても面白いと思ったのです。 次第に、いまは自分の仕事がその中にいるように感じています。そのことを、まるで他人を指摘するような気持ちで思い出しました。 コーヒーはお鮨ではありませんが、「プラスの要因は何もな」く、「マイナスの要因をいかに減らせるか」ということがこれほどストイックな形で共通する世界もそうはないような気がします。そしてそれはきっとお蕎麦の世界でもそうなのでしょう。