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記憶と装置

Posted: 2021.04.16 Category: ブログ Comment: (0)

記憶と装置イメージ1

店主です。

経営者になって数年が経ちました。

わたしはこの数年間、コーヒーについてというよりも、経営にまつわる何かに、ずっと悪戦苦闘してきたという印象があります。文字通りそれは「悪戦」、そして「苦闘」でした。コーヒーに関する仕事をして来たことは確かです。問題は、わたしにとってコーヒーがコンテンツではない(ような気がする)点でした。少なくとも「近隣」の先輩から「もう少し興味持った方が良いよ」と言われる程度には、解釈の対象ではありませんでした。普通の人が目指すような形で、コーヒー稼業に足を突っ込んだわけでも無し。そういう「構図的なものの純粋さ」を残すために、コーヒーから直接的なものを感じないようにしていたというところは、もしかしたらあるのかもしれませんが。。

『たいまつは自分で持てと、私はしばしば言ってきました。これは、人から教わったり、本で読んだ知識ではなく、自分の味わった苦しみから生まれた実感なのです。どんなに苦しくても、たいまつは自分の手で持って進まなければいけない』(藤沢武夫)

経営とは、何なのでしょうか? ものすごい問いかけに見えますが、字引けば「規模を定めて工夫をこらし、物事や事業を運営すること」。その通りだと思います。文意がというより、わたしはいまの立場になってから、何かかろうじて、物事がうまく回る仕組みについて考えてきたのです。それは、次から次へと上手く行かない物事を見つけ、あきることなくその前に立ち続けることとほとんど変わりはありませんでした。正直、そのことは、わたしにとって(性質的に)少しきついことでした。そういう「記憶」なら、いくらでもあります。本当に、いくらでもあるのです。

「事業体はどうして業績を上げ、利潤を上げ続けていかなければならないか、あなた、わかっていますか?」

かつて上場企業の上役から、上記の内容を言われたことがありました。

わたしは、こう答えました。

資本性経済というのは、そもそも資本の自己増幅を基調としている「装置」であり、増幅が生存条件である以上、現状維持はすなわち衰退だからです。

「そんな答えしかないのに、経営者をやっているの?」

わたしは笑いました。

もちろん、面白かったからではありません。



それからわたしは、あのとき口元を歪めて感じるしかなかった予感とともに、その後のおそろしく拙い経営者人生の中、ひとつのことをたしかめてきました。ありもしないものがあるばかりか、一切がそこからはじまっている何かについて。それはいつも、闘いでした。謎めいた大きなもの、自己増幅の限りないものに向けた何かの闘いです。浅はかな拡大路線だけは、御免でした。

しかし、そのことにどのくらい意味はあったのでしょうか。少なくともわたしは、何か大切なことをしているという妄信の意味で、囚われの身でした。たとえ経営指標の中から「規模の論理」を外したところで、一人当たり生産性や一店舗床面積あたり生産性というような高級な議論が、必ず沸いてくるのです。わたしはいつも、こう思っていました。人間の目的が、そんなものであってたまるか、と。

しかし、このあたりのことは、他人にはなかなか理解してもらえませんでした。士業やそれに類する生業の「知的な人」ほど、このことの意味は、よく伝わりませんでした。おそらくわたしは、自分自身に対して怒っていたのです。そして、本当に深い部分で他人とそんなことを話す機会も、永久に訪れませんでした。

そしてわたしはいまでも何かの機会が永久に訪れることのないまま、ずっと闘っているような気がしています。

経営とはそんなものかもしれませんが、わたしにはよくわかりません。

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