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静穏なるものと奇態指数

Posted: 2020.07.15 Category: ブログ

静穏なるものと奇態指数イメージ1

店主です。


隣県から某紙に寄稿してほしいと言われ、最近自分の仕事が、ものを書くことにどんどん近づいて来ていることを感じました。それで、そのことを振り返っていました。そのこととは、何かものを書く機会にめぐりあっていることについてです。

わたしの書いた文章がはじめて活字になったのは大学生ぐらいのとき、リットーミュージックが発行している某音楽誌に、ロックミュージックの評論を書いた時のものでした。たしかイギリスのポストパンクと、UKオルタナティブ前夜について書いた、かなり実験的/観察的な文章だったと思います。(なぜあれが採用されて雑誌に載り、そして活字になったのかはよくわかりません)。そんなわけで、わたしはロックミュージックが「ほんの少しだけ」好きなのですが、数年前にクラシックピアニストの某氏との某対談(のようなもの)が某紙に掲載されたとき、まわり以上に、自分自身が一番違和感を感じていました。クラシックミュージックについてわたしは、趣味的に何か発言が出来るほどの関わりを持ったことが、いままで一度もありません。仮にもし「ほんの少しだけ」何か言えると自覚してしまったとしたら、まっとうにしている人たちから本質的に怒られてしまうと思います。


ただ、グレン・グールドはとても好きでした。相当なまでに好きでした。はじめて彼のピアノを聞いたとき、ジャンルをこえたまるで種類の違う音楽を聴いたような印象と、奥深い、何か幾何学的なものの感覚を感じたのです。(それより上手い言い方が見つけられないところで、わたしのクラシックミュージックへの造詣の程度が測れることと思います)。


グールドは、彼の発言集成の中(『静穏なるものと奇態指数』)において、「表現」あるいは「創意」について、おそろしく含蓄に富んだ次のような発言をしています。(本当によく読む必要があります)。


『創意とは、規則を破るときに生まれる雑音と関係があると信じている芸術家の目を昔から曇らせてきた誤解です。もちろん、私の考えは違います。創意とは、自分に期待されるものとはいくぶん違った前提を固守するときに用いる、精妙さと関係があると思います。ビートルズにはかないませんし、挑む気もありませんよ。個人的には、私の音楽はペトゥラ・クラークの録音が発揮したであろうものと同じ効果を持っているつもりですが、判断は後世の人々に委ねませんか?』(グレン・グールド)


わたしは音楽的な要素を媒介にして彼に惹かれていたというよりも、グールドが「創意」に対して感じていたものに、何かものをつくることに関わる部分での極北、事物が極限にいたるまでの感覚を見たのだと思っています。クラシックピアニストの方々とお話をするとき、共有できない思いを抱えているとしたらそれは「グールド的」なるもので、その内容はクラシックミュージックを最も内側から破壊するものだから、無理もない話です。


これがスライドする形で、わたしはコーヒーと創意についても同じ種類の何かを感じているのですが、(コーヒーに「表現」という語が無邪気につけられるえげつない出来事をこれまで何度か見たからかもしれませんし、そのことはまったくそうだからではないかもしれませんが)、そのことが「実験的/観察的」に語られるにはまた、別の機会が待たれることになると思います。


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