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出来事の向き合い方

Posted: 2023.09.30 Category: ブログ

出来事の向き合い方イメージ1

店主です。

それはもちろん実際にどこかで起こっていた出来事ではあったはずなので、ひとびとの口端にのぼるだろうなとは思うとしても、それにしてもいくらなんでもただの嗜好品飲料にさまざまな困難を乗り越え、新たな未来に向けて一歩を踏み出すアジア最大級のさる出来事などどいう冠語がつけられているところには、話の種としても遭遇したくないに決まっているわけで、とはいってもそんなことを思ったのも幾人かにそのことに関してマイクを向けられるような「出来事」が頻発したからだったというふうには想到していて、だからというか、いうなれば本当はまったく何もそんなことに意識を向けていたわけでもなく、特別なにか感想があったりというわけでもなかったのです。一連の気分は、あくまで誘発されたような感じでした。そういう出来事とどう向き合えばいいのだろうかと考えていると、家人から「今日は中秋の名月だ」という話を聞きます。

気分の変わり目から引き戻しにあうように、(自分には珍しく)そう遠くない関係性のある知己から、冒頭のフェスティブななにかに関するほとんど記憶があいまいになるような「出来事」についての言及が、手元のデバイスに届きました。それに合わせてわたしはある高明なビジネススキルトレーナーの「人生で一度開いた幕というものは、どれだけ鬱陶しくても決して降ろしてはいけない」ということばを思い出したりしていて、その説得力に理解をおぼえつつも、それ自体なんという鬱陶しさを含んだ金言なのだろうと思ったりしながらため息をつき、それからだいたい20年ぶりくらいに各務原の温水プールに足を向けたり、アサイーボウルを食べるなどして残り少ないわずかな休日の時間を過ごしていたはずなのです。つまり、それはフェスティブななにかとは無縁の、ごく普通の「日常」でした。しかし、行った先でもまた例のなにかの話が同じく耳に入って来て、目のくらむような感じがやって来たので、(それ自体にもほとんどどんな意味があるのかはよくわからない)情報氾濫の広大な海から、検索という行為で慰みのように馴染みのことばをいくつかひろおうとするのです。

わたしが思いついた検索のことばからたどり着いたさきには、ちょうど先日亡くなった20世紀のうちでもっともかおそらく二番目くらいに優れていたはずの日本のある小説家の発言がありました。当時の若い文学批評家に向けた、「知的情報の荒野にふみこんでしまっていることを覚悟し、そこに自分自身の人間的な根源に至る狭い通路をきりひらくことへの志向を、この若い批評家がそなえていることは、かれがまず漱石を選んで出発したという事実にてらしあわせて、ぼくはそれを信頼したいのです」ということばでした。そういうものが、身を切るように迫ってきます。わたしはたしかそのことばを、愛知県で一番目か二番目に大きな公立の図書館の、半世紀以上前の古い文芸誌ばかり並んだような場所でコピーを取ったことがありました。それは娘が生まれて2年くらいたったときのことで、泣いたり喚いたりする彼女をおんぶするなどしてあやしながら連れていった大きな図書館で、急に思い立ってそのページにたどりついたことがあったのです。しかし本当はそのページは、そこからさらに年齢的には10年くらい前にこの国の首都の二番目か三番目に大きな大学図書館の地下書庫で、長髪を後ろに結んだ髭まみれの金のない若者が、小銭ばかりの財布からにぎりしめたものを投入などしながらまったく同じにコピーした箇所でもあったのです。いつのまにかそのどちらもなくしてしまったことを、わたしはようやく思い出しました。三度目の遭遇でなにかものすごい意味でもあるかのようにそれを眺めていたのですが、おのれが「自分自身の人間的な根源に至る狭い通路をきりひらくことへの志向」というものを必死に探してもがいていたこと、そしてそれはいまもそうかもしれないということを、手元にぽつんと置いたとある嗜好品飲料を傍に、懐かしさとかわけのわからない記憶のあいまいさとはまるで違う感じで思ったのです。とりとめもなく、あいまいな出来事。。情報氾濫の広大な海から検索という行為でいくつかのことばをひろおうとする事自体が、波間を漂うプラスチックの破片を見つける如きものだとしても、、というふうにわたしは思います。そして今度はさきほどとはべつに、あることばの組み合わせをいくつか試しながら、眉間に皺を寄せたり、首をかしげたりして、それでも目を覚ますようなことばをひろおうとします。そして、そこで目の前にあらわれた「鳥目甲午郎」という人とその人の立ち上げた珈琲店の内容に哄笑し、その出来事とどう向き合えばいいのかというふうに思っていると、一日の終わりを見せるように日が暮れていることに気がつきます。

入れ替わるよう薄い寒空にあらわれたのは、綺麗な色をした中秋の月でした。

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