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記憶と装置のつづき

Posted: 2021.10.26 Category: ブログ

記憶と装置のつづきイメージ1

店主です。


この数週間ほどのあいだにですが、多くの経営者の方に会ったりだとか、経営について話しをする場面に遭遇する機会がいくつかありました。自分で招いていることというほかありませんが、わたしは少ししゃべり過ぎているということをよく感じます。事業を運営すること関して、少ししゃべりすぎていることを自分で感じています。たとえば経営についてしゃべることは、本当は経営についてしゃべらないことです。あるいは経営について考えることは、経営について考えないことでもあるのです。それをわたしはもっとうまい言い方でいう方法はないだろうかと、いつも、いつも考えています。


『「事業体はどうして業績を上げ、利潤を上げ続けていかなければならないか、あなたわかっていますか?」かつて上場企業の上役から、上記の内容を言われたことがありました。わたしはこう答えました。資本性経済というのはそもそも資本の自己増幅を基調としている「装置」であり、増幅が生存条件である以上、現状維持はすなわち衰退だからです。

「そんな答えしかないのに、経営者をやっているの?」

わたしは笑いました。もちろん、面白かったからではありません。』

(『記憶と装置』カフェ・アダチ ブログより)


かつてわたしはこの文章を書いたとき、(とくに含みを持たせたつもりもありませんでしたが)、もう少し何か書き足りないような感じがありました。もう少しだけ何かを書いた方が----というか、あのときの場面において、もう少しだけ何か答え方があったような気がしていました。


せっかく第一線(それが何なのかはわかりませんし)で活躍する、経済方面の偉い方(というのも何なのかはよくわかりませんが)に出会う機会だったというのに----そのことは何か青硬なやりとりの感じだけが印象として残っており、そして自分があのときまったくくちにできなかったけれども、本当はくちにしなければいけなかったであろう答えのことを、(うまい言い方を探すべく)長い間しばらく考えていたのです。それは本当に、なかなか、なかなか見つかりませんでしたが。。


そんなときに、当時のわたしとそれほど年齢の違わないときのある人が、ほとんど同じような状況下で、このように答えているのを見つけたのです。それはその人の事業が地方銀行を離れるようなタイミングで、有名な都市銀行の頭取と会う時の問答です。


『その頭取は財界でも有名で、私は以前からご著書にも触れ、たいへん立派な方だと思っていましたので、勇躍、面会に行きました。ところがその頭取は出てこられるや否や、「稲盛さん、今日は私があなたに面接を受けるのだそうですね」と、皮肉をガツンと言われました。まだ私も若かったものですから、「そんなつもりではないのですが、御社とおつき合いを始める前に、そのトップがもっていらっしゃる哲学がどんなものなのかということを、まずお伺いしたいのです」と、率直に申し上げました。「それでは、あなたはどういう哲学をもっているのですか」と言われたので、西枝さんから教わった、人間性こそが最も大事だという話を若干しましたら、「あなたは老人みたいなことを言うのですね。まだ三〇代前半とお若いのだから、そんなことを言ってはいけませんよ。私も今は年をとったからそういう話もわかりますが、若い頃はもっと泥臭い人間でした。あの有名な松下幸之助さんも、若い頃はもっとぎらぎらと脂ぎった人でしたよ」と、言われたのです。』


わたしは稲盛和夫氏が、あのときわたしが言わなければいけなかったことを、その秘聞の中で言っていたような気がしていました。しかし、よく読めば読むほど、そうでもあるような、そうでもないような気がするのです。あれから繰り返しどれほど読んでも、どれだけ時間がたっても、わたしからその感覚が消えることはありませんでした。そしてそれはいまもそうなのかもしれません。


『正しい判断を行うには、正しい認識がなされなければなりません。しかし、この正しく認識するということが非常に難しいのです。なぜなら現象というのは、観察者の視点によって左右されるからです。決して絶対的な事実だけが存在するのではありません。現象を観察する人の主観に左右され、ただ一つしかない事実が善にも悪にもなるということを、私たちは日常的に経験しています。どちらが正しいのではありません。両方とも誤っているのかもしれません。どうせ主観に左右されるのならば、ものごとを善に見ていく習慣をつけるべきだと私は考えています』(稲盛和夫)


そしていまもわたしは形にならないものを見ながら考えています。小さく続く低いつぶやきの声に、耳を澄ましているようなものなのかもしれません。そしてそれは目に映らないまま、今日も時間が過ぎていきます。


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