店主です。
新聞社から依頼されていた書き仕事が終わりました。
連載が終わり、わたしはいくつかの物事を思い出しながら、期間中の出来事を過ごしていたことを思い出していました。
ある人がいました。
その人は、わたしに先行するような人で、わたしの考えていることやわたしが暗中模索しているような仕事を、いつも簡単に、するりと目の前に出してみせるのです。ものすごい人です。
久しぶりに会ったその人から、とてもさりげなく君の連載を読んでいるよ、と聞きました。カウンターに座して、対面に長い時間を過ごしていたときでした。その人は当該書き物の「感想」を、一言一句すらわたしに伝えることはありませんでした。わたしはただ、その人が麺を茹でるのをだまって見ていただけです。
もう一人、ある発言をしたひとがいました。
その人は、かつてわたしの書いているものについて、この書き物のどこかにある発言をしたことがありました。わたしは、(たいていそういうことが多いのですが)、まったく返答に窮しました。
そして、それから密かにずっとそのことについて考えていました。
辞書で引けば誰でもわかる意味を考えていたわけではありません。わたしの書き物が、そういう言葉が機能する形で、他者と出会う可能性がある「構造」というのが、果たしてどういうものであるのかが気になったのです。発言に正確さがある人という分だけ、余計気になっていました。
それからわたしは思考を煮詰め、ある形でその内的構造をほとんど描くところまで接近していたのです。しかし、あるときふと、そこまで構築した考えを無造作に全て壊してしまいました。
気がついたら霜月。
変な気分のまま、切断の時なく続いていた一年も、じわりじわりと結びの足音が聞こえて来ました。