お店がああいった構えだからなのか、コーヒー豆売り専業で営業はされないのですかと、そうそれほど多く言われるわけではないのですが、それでもやはりそのように言われる事はあります。
そのたびに何をどう上手く言うべきなのか、私はずいぶん長いこと目を伏せて微笑を隠すような気持ちでいましたが、連載『コーヒーのある時間』の最初の回があったことで、きちんと文章でおこす機会をえました。いまは上手く言うべき事でもないと思っていますが、それでもそのことについて話すのは難しいです。
豆売りだけ。
喫茶は営業しない。
カップで正解を見せたい想いはあります。それは私の中で以前よりむしろ明確な形になってきています。しかしそれよりもっとはっきりと想うのが、カフェは「社会の公器」である事。
関市で私が(たぶん)もっとも尊敬する社長が、「自分をなくして自分を生かす」という言葉を書かれていました。
コーヒーの側から穴が空くほどカフェ営業を見つめたとき、私はその言葉によって向こう側がよりクリアに見えた事があったのです。それはとても大切にしたい記憶のひとつです。