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バーテンダーと珈琲

Posted: 2024.02.12 Category: ブログ

バーテンダーと珈琲イメージ1

店主です。

元ノートコーヒーの舟戸貴織さんにすすめられて、『バーテンダー』を読んでいました。全編を通じて示唆に富んだ内容のものでしたが、その中でとくに印象に残った場面があります。
南浩一氏によれば、良いバーテンダーになる条件というのは、「誰かの言うことを最後まで聞くか、誰の言うことも最後まで聞かないか」だそうです。しかし、これはまさにコーヒーの仕事でも同じではないでしょうか? ここには、人が人から受け取るものについての、おそろしい含蓄があります。あいだがないのです。一見すると、誰かの言うことを最後まで聞くというのは簡単にも思えるのですが、このことはきわめて難しいことです。必ずどこかで疲れてしまったりするし、面倒くさくなってしまったりするし、自分が追いかけていた、あるいは自分が学んでいた誰かのことを、空気を吸うようにして裏切ってしまいます。あるいは、裏切りとまではいかなくても、結果的には言うことを聞かなくなってしまいます。聞けなくなってしまう、という方があっているかもしれません。全体を理解することもなく、「部分的ななにかのつまみ食い」(田口護氏)に陥ってしまうこともしばしばです。

しかし、それ以上に難しいのは、誰の言うことも最後まで聞かないということではないでしょうか。誰の言うことも聞かずにやるというようなタイプが、いつのまにか本人も気が付かないうちに、誰かの言うことの通りになってしまうというのはないでしょうか? 誰かの言うことを永遠に聞き続けない、というのは、本当にきついことなのです。それはほとんど不可能にちかいことで。。わたしは、このことについて、もう一度どこかで物事の意味を考えてみたいと思っていました。こういう自己欺瞞は手におえないのです。本人が自分をごまかしつづけることができるから、手におえないのです。

自己欺瞞といえばわたしはバーテンダーのことを勝手にコーヒーに結びつくように話をしてしまいましたが、おわかりのように注意が必要なのは、コーヒーの世界には「バーテンダー」に該当することばがないということです。シェイカー等でカクテルの調合をする人物、カウンター席が設置された酒場で、カクテル・ビール・ワインなどのアルコール飲料を提供し、飲酒する客をもてなす人物を指すようなことばが、コーヒーにはないのです。無理やり言おうとすれば、バリスタだとか、コーヒーマンだとか、(語源のオブスキュアな感覚を受け入れたとて)、うそ寒いなにかを感じさせるあのようなことばたちしかないのです。このあまりにうそ寒いものは、いったい何なのでしょうか? このことを言おうとするときに感じる、凍えるしかないようなおそろしく寒い感じのことは。。わたしは、このことについてもいくつか考えてしまいます。それはつまり、コーヒーというものの属人性のなさについてのことかもしれないし、コーヒーにある「加工」という概念に対しての、ある絶対的な不可能性についてのことかもしれません。それかコーヒーというものが人間にしてきた、あるいは人間というものがコーヒーにしてきた悪魔的な物事に対しての、無意識の斥力のことかもしれないし。。

このようなことをいうためにはもう少し時間をかけてゆっくりとなにかを読んだり書いたりしなければいけないかもしれないのですが、いまの自分の忙しさでは結局なにもいえないままです。

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連載「コーヒーのある時間」

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