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手ごたえのある物事

Posted: 2023.03.25 Category: ブログ

手ごたえのある物事イメージ1

店主です。

『M/Tと森のフシギの物語』(ノーベル文学賞受賞の際、その作品がきわめて評価されたことはあまり知られていない)の著者が逝去した時、ちょうど自身の周りからなにかが存在しなくなったタイミングと重なっていたのですが、わたしはひとからちらと聞いただけの訃報が、なぜか小見出しのようにあたまに浮かんでくるのを感じました。そして、この感覚は何なのだろうと思いました。それを確かめるために、わざわざコーヒーの仕事が終わったあと、生家にその日の日刊紙の有無を確かめるなどして、ふだんとは反対方向の帰路についたくらいです。彼の訃報がことばによってどのように報じられているのか、それを目にするため懐かしい帰路についたのです。そんなことは、いったいいつぶりのことだったのでしょうか? わざわざなにかを読むということのために、少しぐったりする気持ちで移動したあとで、取りとめもないことばの羅列にしか思えない活字たちに、おそるおそる目を通してみるなどということは。。あらかた予想はしていたのですが、ゆびさきがめくる紙面のさきには肝心の人物の政治的信条が事細かに記載されていましたが、どれだけページをめくっても、どれだけ目をこらしても、そこにはわたしの探しているような言葉は----わたしが形にならないままおぼえている感覚をうまくいいあらわしたようなことばは----見つかりませんでした。

文学者として名高い『個人的な体験』の著者ですが、わたしは彼のことを思い出すときに、あるいくつかの場面を、人生に思い出します。それはむしろ、文学とは少しずれているようなものです。どちらかといえば現在コーヒーを飲んでいたり、コーヒーを淹れていたりしながら、ほんのかすかに、とてもおぼろげに思い浮かべているようなことです。たとえばわたしが折に触れて顔を合わせている自分より少しだけ年配の女性などには、あなたはコーヒーはともかくとして、どうしてそれほど映画にこだわりを持っているのか、ということをくちにされたりします。それがどういう意味なのかは、正直よくわかりません。こだわりということの意味がわからないのでしょうか? コーヒーについて考えるのは楽しいなだとか、コーヒーについて話すのは楽しいねということを感じたことがないという以上に、わたしは映画に対してそのようにいわれる発言を、手ごたえのないことだと感じるのです。自分のことをいえば、環境的には確かに、大学の前に通った地方都市の県立学校を卒業した後(なぜか作為的とは言えない形で)、この国の首都に、かりそめのように居を構えていたことがあります。あれは、まったくばかな時間でした。なにひとつ形にならない時間でした。そういう場所でしか見られないような、今日的な意味で「クラシック」と呼ばれる古典的映像作品たちを、映画館でじかに見ることができたと言う僥倖は確かに存在していたと思います。ただし、それは暗い場所での着座の記憶という以外のものではありません。浮薄な人生に対し、まるで自身囚人にでもなると決めたかのような、光のない場所での着座の記憶----幽閉された時間の記憶です。

目の前に演じられる物事の意味など、どうでもよかったのです。あのころしばしば映画館にいたのは、無意識下の自己懲罰以外の意味ではむしろ、その直前に存在していた、あるいはわたしが本を読むようになった時期から続いている気分によるもので、そのことがむしろこの書き物の主題なのです。わたしが本を読むようになった時期から見たとき、その少し前の時代の明晰なひとたちが、(とても優れた批評家たちが)、文学ではなくこぞって映画について語り始めたような時期がありました。(あるいは個人的に、物事がそういう風に見えたことがありました)。前世紀の終わりのころ、あるいは終わりの手前にちかいころ、そのころの優れた「批評」(読むこと)と呼ばれるものは、ほとんどが映画の周りにありました。文学批評と哲学というものの境目が曖昧になっていたのが20世紀の後半の出来事だとわたしは勝手に思っているのですが、その辺に自分の居場所見つけていた人たちや、居場所が少し違うはずの哲学者のような人たち(それもとびきり優れた人たち)でさえ、映画について何かを語りました。ことばについて、ことばに関して、そういう時期が確かに存在したのです。

『(代替の連鎖により)『内部/外部』という二極性は逆転してしまったが、二極性そのものは依然として機能している。つまり、内的意味(概念)が外的指示性になり、外的形式(言語)が内的構造と化したわけである。だが、こうした逆転のあとにも、還元主義という呼称はすぐに新たな形でつきまとう。「言語の牢獄」、「形式主義の袋小路」など、現在、形式主義はほとんどが幽霊や閉所恐怖症といったイメージで語られている』(『読むことのアレゴリー』)

このことについて、わたしはポール・ド・マンのようには、うまく物事を捉えることが出来ません。ただ、フレドリック・ジェイムソンの『言語の牢獄』が発刊された年と、ジャン=リュック・ゴダールの『映画史』が動きはじめたタイミングが、年代記的に完璧に合致するということくらいは、おそるおそるくちにしておいても良いかもしれません。20世紀の形式主義は、代替の連鎖(ド・マン)として、いつのまにか「内部」と「外部」が入れ替わってしまったのです。それによってことばの身動きが取れなくなりはじめたころ、映画について語ることがこのしゅの問題からまぬかれうるなにかであることに、知的な人たちが薄々気がつきはじめていました。(しかも、そこには「物語=歴史」(histoire)もありました)。映画は「善と悪」の彼岸、あるいは「AとB」の彼岸というべきものが、そのまま具現化された「装置」だったのです。しかもそれが上映される場所は、お互いの表情がわからないような、どこよりも暗い場所でもあったのです。言語そのものにとって、そこはまさに無意識下の自己懲罰のような場所でした。

『水死』の著者は、こういう物事の中でずっと文学の場所に居続けた人でした。つまり、「代替されるもの」の側に居続けた人でした。文学者なのだから当たり前なのかもしれませんが、そのような単純な関係が実際にどれほど困難であったかと言う事実は、結局問題の人物の時代に彼らしい人、もしくはそれに匹敵するような感覚を持った人が誰一人いなかったことが何かを表しているように思えてなりません。『同時代ゲーム』の著者は、文学が映画を、あるいは映画が文学を超えたのかという、眠くてたまらない、あるいは刮目する以外ない問いかけに対して、わたしの記憶が正しければ(アンドレイ・タルコフスキーを引用しながら)、(その引用の仕方があまりにも静心なものにわたしには思えたのですが)、「こえているし、こえていない」というようなことをくちにしたと記憶しています。繰り返しますがその言い方は、文脈をふくめてあまりにも静心かつ、そして見事なものでした。そういうことを言えるひとが文学の場所にとどまった人たちの中でほとんど誰もいなかったと言う出来事は、自分にはさまざまな思いめぐらせとともに存在する記憶です。

「新聞」に戻れば、彼が政治的にどうだっただとか、政治信条的にああだったとか、わたしは彼の著書からそういうことを目にしたという記憶はほとんどありませんでした。そういうものを見つけたという記憶はほとんどありません。というか、『セヴンティーン』の著者は政治というものに対して、「根本的な尊敬と根本的な不信が同時にある」と喝破した人なのです。やっかいな物事に対して、立場を表明しなければいけないような場面にあって、ひとは一体これ以上なにをくちにすれば良いというのでしょうか? 日刊紙を閉じてわたしが思ったのは、そういうレベルではないところで演じられる、言葉との格闘の問題です。ある人の言葉を借りるのであれば、『取り替え子』の著者は言葉が自分のものにならないというところで、誰よりも格闘していました。

大江健三郎氏の言葉でわたしがもっとも好きというか、なにより印象に残っている言葉のひとつに、こういうものがあります。「人生は、生きている間の耐え難い長さは筆舌に尽くせないのに、いつか絶対に死ななければならないという短絡的な途切れ方は、あまりにも矛盾している。だから自分は何か書くことでしかいられなかった」、と。こういう言葉を捉えられずに、何が「政治」なのでしょうか? 哲学だとか、文学だとか、政治だとかを区切ったところで、結局それはことばであり、そしてそこにあらわれるのはいつも「読むこと」(マルクス)なのです。自分が(もちろん)まだコーヒーなど飲むこともなかったし、無作為に放り込まれた県立学校の図書館で(中期と呼ばれる時代の)大江氏の著作を読んだころ、そのころがいまの自分につながるなにかのはじまりであることに個人的な疑いはありませんが、彼の書いているものは自分にはよくわかりませんでした。いまもってよくわかりません。難解だとは思いません。難解ということばが簡単に浮かぶのであれば、それは難解ではありません。彼の著作は、自分自身これほど長く付き合ったのに何も手ごたえを感じられなかったという意味で、よくわからないのです。現代日本のある優れた(と思われている)作家は、問題の人物の訃報に対して、「作品に触れると同じ職業者としていやになる」というようなことを言いました。こういう禁忌を思わせる感覚が、わたしを煙に巻いているのでしょうか? 自分のものにならないのにそれと格闘するという意味では、(決して全面的にではありませんが)、わたしは職業として自分の向き合うコーヒーとかいうなにかにも、少しだけ似たようなものを感じます。あくまで少しだけですが、似たようななにかを感じます。

「あなたは私のコーヒーの師匠です」と言った人に出会ったときも、それに近いことを思いました。その時にわたしは、「このひとはなにをくちにしているのだろう。いったい、どういう意味なのだろうな。自分がこの人の師匠などという存在であるはずがないのに」、というふうに思ったものです。そもそも、自分は(自分が)コーヒーに対してなにかをしているという感覚は希薄です。本当に、まったくもってそれは希薄なのです。ただしこのことは、口が裂けてもその場で言うことはできませんでした。一方でその言葉の意味は、ずっと自分の頭の中に残っていました。しばらく経っても消えませんでした。しかし、(たとえば)、田口護氏は、絶対にわたしのことは自分の弟子であるとは思っていないはずです。観点を見返すと、俯瞰したところにある事実などはなにもなく、それぞれが個人の立脚した場所でなにかものを考えたり、くちにしたりしているだけなのだろうなとも思うのです。ふざけているくらい勝手なものです。物事の手ごたえというのは、本人が考えていることと実際性というのは、いつもずれています。そのあたりの自己判断というのはほとんど意味がないし、先まわりして捉えたものに恩返しがあるとしたら、せいぜい「怪我をしたあとの手当て」(T・レビット)くらいのものなのです。

わたしは、発言の裏側にある物事の意味を痛切に感じさせられます。くちにされたことばは常に平常なものではなく、そのときその瞬間にバランスを欠いた形でくちにされるなどということは、ほとんど見慣れた常識だからです。そしていつのまにかそういうものが形になっていきます。

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